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イエスとは誰か? — 生きて実践する · ストロング番号付きKJV聖句

それを生きる · 神との歩み — 這う、歩く、走る、走り終える

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イエスとは誰か? — 生きて実践する · ストロング番号付きKJV聖句

それを生きる · 神との歩み — 這う、歩く、走る、走り終える
イエスとは誰か — 創世記から黙示録まで聖書を辿る旅

開会の言葉

最初の学びは一つの問いを投げかけた。その問いとは、イエスとは誰かというものである。聖書は聖書の最初の書から最後の書に至るまで、その問いに答えてきた。この学びは次の問いを投げかける。次の問いとは、人はその答えをどうするのかというものである。イエスについて知ることは、イエスを知ることと同じではない。ある人物についてのあらゆる事実を持っていても構わない。それでもなお、その人物と共に歩むことに失敗する場合がある。聖書は神との人生を、一つの歩みとして描いている。子どもも同じ型を示す。子どもはまず這う。それから父親が子どもの腕を取る。父親は子どもに歩くことを教える。それから子どもは歩く。それから成長する。それから走る。よく走る人は競走をする。競走にはゴールがある。この学びは、最初の学びの答えを、これら四つの段階を通して運んでいく。第一段階は、人が最初にどのようにイエスを知るようになるかを示す。第二段階は、イエスとの日々の歩みを示す。第三段階は競走を示す。競走において、人は他の人々の前でイエスの名を告白する。第四段階はゴールラインを示す。イエスは再び来られる。聖書はすべての走者に、目を覚ましているよう命じている。ゴールラインにおいて、走者はイエスの御顔を見るのである。

本研究が答える三つの問い:

1. 人はどのようにしてイエスが誰であるかを最初に知るようになるのか。
2. 人は日々どのようにイエスと共に歩むのか。
3.イエスを待ち望む者のために、競走の最後に何が待っているか。

1. はいはい — 人が最初に彼を知るようになる経緯

(私の個人的な感想:どんな歩みも低いところから始まる。赤ちゃんは歩く前にまず這うからだ。イエスについての事実は読むことと聞くことから来るが、知ること自体は父から与えられる賜物である。以下の聖句はその両方を示している。)

2. A. すべての人が答えなければならない問い — あなたがたは、わたしをだれと言うか。

マタイによる福音書 16:13シェア↗ イエスがピリポ・カイザリヤの 地方 に 行 かれたとき、 弟子 たちに 尋 ねて 言 われた、「 人々 は 人 の 子 をだれと 言 っているか」。 (14) 彼 らは 言 った、「ある 人々 はバプテスマのヨハネだと 言 っています。しかし、ほかの 人 たちは、エリヤだと 言 い、また、エレミヤあるいは 預言者 のひとりだ、と 言 っている 者 もあります」。 (15) そこでイエスは 彼 らに 言 われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと 言 うか」。 (16) シモン・ペテロが 答 えて 言 った、「あなたこそ、 生 ける 神 の 子 キリストです」。
あなたがたは、わたしをだれと言うか。 → あなたは、キリスト、生ける神の子です。
マタイによる福音書 16:17シェア↗ すると、イエスは 彼 にむかって 言 われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの 事 をあらわしたのは、 血肉 ではなく、 天 にいますわたしの 父 である。
原語キー / Strong’s: ⚑ G601 apokalupto
肉と血がこれをあなたに啓示したのではない → 天にいますわが父。
(私の個人的な思い:イエスの二つ目の質問は個人的なものであった、「あなたがたは、わたしをだれと言うか」。「あらわされた」の背後にあるギリシャ語はアポカルプトー(G601、覆いを取り除く)であり、神ご自身がペテロのために覆いを取り除かれた。人は他人から事実を学ぶことができるが、知ること自体は神から来る。)

3. B. 人は、父が引き寄せてくださらなければ、わたしに来ることはできない

ヨハネによる福音書 6:44シェア↗ わたしをつかわされた 父 が 引 きよせて 下 さらなければ、だれもわたしに 来 ることはできない。わたしは、その 人々 を 終 りの 日 によみがえらせるであろう。 (45) 預言者 の 書 に、『 彼 らはみな 神 に 教 えられるであろう』と 書 いてある。 父 から 聞 いて 学 んだ 者 は、みなわたしに 来 るのである。
わたしをつかわされた 父 が 引 きよせて 下 さらなければ、だれもわたしに 来 ることはできない → 『 彼 らはみな 神 に 教 えられるであろう』と 書 いてある。 父 から 聞 いて 学 んだ 者 は、みなわたしに 来 るのである.
ローマ人への手紙 10:17シェア↗ したがって、 信仰 は 聞 くことによるのであり、 聞 くことはキリストの 言葉 から 来 るのである。
したがって、 信仰 は 聞 くことによるのであり + 聞 くことはキリストの 言葉 から 来 るのである.
(私の個人的な感想:引き寄せることは神のみわざであり、聞くことは人がなし得る部分である(ヨハネ6:44-45)。信仰は神の言葉を聞くことによって来る(ローマ10:17)。神は聖書を通して人々を引き寄せるので、聖書を飛ばすことはない。)

4. 来て見よ ― わたしたちは自分の耳で彼の言葉を聞いた

ヨハネによる福音書 1:45シェア↗ このピリポがナタナエルに 出会 って 言 った、「わたしたちは、モーセが 律法 の 中 にしるしており、 預言者 たちがしるしていた 人 、ヨセフの 子 、ナザレのイエスにいま 出会 った」。 (46) ナタナエルは 彼 に 言 った、「ナザレから、なんのよいものが 出 ようか」。ピリポは 彼 に 言 った、「きて 見 なさい」。
われらはモーセが律法に、また預言者たちが記したる者に遇えり → 来たりて見よ。
ヨハネによる福音書 4:41シェア↗ そしてなお 多 くの 人々 が、イエスの 言葉 を 聞 いて 信 じた。 (42) 彼 らは 女 に 言 った、「わたしたちが 信 じるのは、もうあなたが 話 してくれたからではない。 自分 自身 で 親 しく 聞 いて、この 人 こそまことに 世 の 救主 であることが、わかったからである」。
われら自ら聞けり + これ実に世の救い主キリストなりと知る。
(私の個人的な思い:ピリポはナタナエルと議論しなかった。招きのすべては「来て見なさい」であった。サマリヤの人々は最初、一人の女からイエスについて聞いたが、その後、自分たちでイエスの言葉を聞いた。イエスについての知らせを聞くことは始まりに過ぎず、すべての人は自分自身で来て聞かなければならない。)

5. 聖書を調べよ ― それはわたしについてあかしをするものである

ヨハネによる福音書 5:39シェア↗ あなたがたは、 聖書 の 中 に 永遠 の 命 があると 思 って 調 べているが、この 聖書 は、わたしについてあかしをするものである。
聖書を調べよ ―― それはわたしについてあかしするものである。
ヨハネによる福音書 20:30シェア↗ イエスは、この 書 に 書 かれていないしるしを、ほかにも 多 く、 弟子 たちの 前 で 行 われた。 (31) しかし、これらのことを 書 いたのは、あなたがたがイエスは 神 の 子 キリストであると 信 じるためであり、また、そう 信 じて、イエスの 名 によって 命 を 得 るためである。
これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスはキリストであると信じるためであり → 信じて彼の名によっていのちを得るためである。
ペテロの第一の手紙 2:2シェア↗ 今 生 れたばかりの 乳飲 み 子 のように、 混 じりけのない 霊 の 乳 を 慕 い 求 めなさい。それによっておい 育 ち、 救 に 入 るようになるためである。
生まれたばかりの乳飲み子のように、御言葉の混じりのない乳を慕い求めなさい――それによって成長するためです。
(私の個人的な思い:イエスは人々に、聖書の中で自分を捜し求めるようにと言われた。ヨハネは、読む者が信じるため、またイエスの名によって命を得るために、この福音書を書いた。生まれたばかりの赤子は毎日乳を飲むが、新しく信じた者も同じように御言葉を慕い求めるべきである。)

6. E. 永遠のいのちとは — 彼らがあなたを知ることである

ヨハネによる福音書 17:3シェア↗ 永遠 の 命 とは、 唯一 の、まことの 神 でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを 知 ることであります。
原語キー / Strong’s: ⚑ G1097 ginosko
これ永遠の生命なり → 彼らが汝を知り、また汝の遣わしたまいしイエス・キリストを知らんためなり。
エレミヤ書 24:7シェア↗ わたしは 彼 らにわたしが 主 であることを 知 る 心 を 与 えよう。 彼 らはわたしの 民 となり、わたしは 彼 らの 神 となる。 彼 らは 一心 にわたしのもとに 帰 ってくる。
原語キー / Strong’s: ⚑ H3820 leb · ⚑ H3045 yada
われ彼らに我を知る心を与えん → 彼らは心を尽くしてわれに帰らん。
マタイによる福音書 11:27シェア↗ すべての 事 は 父 からわたしに 任 せられています。そして、 子 を 知 る 者 は 父 のほかにはなく、 父 を 知 る 者 は、 子 と、 父 をあらわそうとして 子 が 選 んだ 者 とのほかに、だれもありません。
父のほかに子を知る者はなく、また子と、子が父を示そうと心に定めた者のほかに、父を知る者はない。
(私の個人的な感想:イエスは永遠のいのちを、場所としてではなく、知ることとして定義しておられる(ヨハネ17:3)。ギリシャ語はギノスコ(G1097、知る)であり、一覧を暗記することではなく、人格を知ることである。神は旧約聖書においても同じ知ることを約束された、「わたしを知る心」と。だから、その心を神に求めなさい(エレミヤ24:7)。)

7. 歩み — 日々主とともに歩む

(私の個人的な感想:赤ん坊は自分の足で立っているので、次に来るのは歩みである。この段階を通して一つの言葉に注目してほしい、それは「共に」という言葉である。歩みは一つの長い歩幅ではなく、日々イエスと共に歩む多くの小さな一歩である。)

8. A. あなたがたはキリスト・イエスを受け入れたのだから、彼にあって歩みなさい

コロサイ人への手紙 2:6シェア↗ このように、あなたがたは 主 キリスト・イエスを 受 けいれたのだから、 彼 にあって 歩 きなさい。
このように、あなたがたは 主 キリスト・イエスを 受 けいれたのだから → 彼 にあって 歩 きなさい.
アモス書 3:3シェア↗ ふたりの 者 がもし 約束 しなかったなら、 一緒 に 歩 くだろうか。
原語キー / Strong’s: ⚑ H3212 yalak
ふたりの 者 がもし 約束 しなかったなら、 一緒 に 歩 くだろうか?
(私の個人的な考え:パウロは、受けることと歩むことを一つの文の中に結び合わせている。アモスは聖書の中で最も古い「歩み」についての問いを発している。二人の者が、もし約束せずして共に歩めようかと。イエスと共に歩むとは、日々、一歩一歩、彼に同意することを意味する。)

9. B. 彼らが御方と共にいるために

マルコによる福音書 3:14シェア↗ そこで十二 人 をお 立 てになった。 彼 らを 自分 のそばに 置 くためであり、さらに 宣教 につかわし、
彼は十二人を任命された + 彼らが彼と共にいるために → 彼らを遣わして宣教させるために。
使徒行伝 4:13シェア↗ 人々 はペテロとヨハネとの 大胆 な 話 しぶりを 見 、また 同時 に、ふたりが 無学 な、ただの 人 たちであることを 知 って、 不思議 に 思 った。そして 彼 らがイエスと 共 にいた 者 であることを 認 め、
学なく無知なる人々 → 人々は彼らがイエスと共にありしことを知れり。
(私自身の思い:この節の中の順序を読み取ってほしい。イエスと共にいることは、イエスのために働くことより先にあるからだ(マルコ3:14)。何年も後、教育を受けていない二人の男の大胆さについて、議会が見出せた唯一の説明は、彼らがイエスと共にいたということであった(使徒4:13)。イエスと共にいる時間は、他の人々が見て分かる印を残す。)

10. わが軛を負いて我に学べ

マタイによる福音書 11:28シェア↗ すべて 重荷 を 負 うて 苦労 している 者 は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを 休 ませてあげよう。 (29) わたしは 柔和 で 心 のへりくだった 者 であるから、わたしのくびきを 負 うて、わたしに 学 びなさい。そうすれば、あなたがたの 魂 に 休 みが 与 えられるであろう。 (30) わたしのくびきは 負 いやすく、わたしの 荷 は 軽 いからである」。
原語キー / Strong’s: ⚑ G3129 manthano
われに来たれ + わが軛を汝らの上に負いて、われに学べ → 汝らの魂に休みを得ん。
ルカによる福音書 10:38シェア↗ 一同 が 旅 を 続 けているうちに、イエスがある 村 へはいられた。するとマルタという 名 の 女 がイエスを 家 に 迎 え 入 れた。 (39) この 女 にマリヤという 妹 がいたが、 主 の 足 もとにすわって、 御言 に 聞 き 入 っていた。
マリヤはイエスの足もとに座して、御言葉を聞きたり。
ルカによる福音書 10:41シェア↗ 主 は 答 えて 言 われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは 多 くのことに 心 を 配 って 思 いわずらっている。 (42) しかし、 無 くてならぬものは 多 くはない。いや、一つだけである。マリヤはその 良 い 方 を 選 んだのだ。そしてそれは、 彼女 から 取 り 去 ってはならないものである」。
マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っている → ただ一つのことが必要である + マリヤはその良い方を選んだ。
(私の個人的な感想:古代において、くびきとは二頭の動物の首をつなぎ、共に一つの荷を、並んで、同じ歩調で引かせるための木の横木であった。イエスは一人で背負うべき規則の一覧ではなく、共に担う荷を差し出しておられる。マルタは働き思い煩ったが、マリヤはただ一つの必要なことを選び、イエスの足もとに座った。)

11. わたしの羊はわたしの声を聞き分ける ― そして彼らはわたしについて来る

ヨハネによる福音書 10:27シェア↗ わたしの 羊 はわたしの 声 に 聞 き 従 う。わたしは 彼 らを 知 っており、 彼 らはわたしについて 来 る。 (28) わたしは、 彼 らに 永遠 の 命 を 与 える。だから、 彼 らはいつまでも 滅 びることがなく、また、 彼 らをわたしの 手 から 奪 い 去 る 者 はない。
原語キー / Strong’s: ⚑ G190 akoloutheo
わたしの羊はわたしの声を聞く+彼らはわたしに従う⇒わたしは彼らに永遠のいのちを与える。
ヨハネによる福音書 14:21シェア↗ わたしのいましめを 心 にいだいてこれを 守 る 者 は、わたしを 愛 する 者 である。わたしを 愛 する 者 は、わたしの 父 に 愛 されるであろう。わたしもその 人 を 愛 し、その 人 にわたし 自身 をあらわすであろう」。
わたしのいましめを保ちて、これを守る者は、すなわちわたしを愛する者なり → わたしは自分を彼に現すであろう。
(私自身の考え:その知ることは双方向である。羊はイエスの声を聞き、イエスは羊を知っておられるからだ(ヨハネ10:27)。イエスは「わたし自身を彼に現す」と約束される。現すとは、はっきりと示すことを意味する(ヨハネ14:21)。すでに知っていることに従いなさい。そうすればイエスはさらに多くを示してくださる。)

12. E. あなたがたのうちにあるキリストの言葉 — そしてあなたがたのうちにあるキリスト

コロサイ人への手紙 3:16シェア↗ キリストの 言葉 を、あなたがたのうちに 豊 かに 宿 らせなさい。そして、 知恵 をつくして 互 に 教 えまた 訓戒 し、 詩 とさんびと 霊 の 歌 とによって、 感謝 して 心 から 神 をほめたたえなさい。 (17) そして、あなたのすることはすべて、 言葉 によるとわざによるとを 問 わず、いっさい 主 イエスの 名 によってなし、 彼 によって 父 なる 神 に 感謝 しなさい。
原語キー / Strong’s: ⚑ G1774 enoikeo
キリストの言葉をして豊かに汝らの内に住ましめよ → すべての事を主イエスの名によりて行え。
コロサイ人への手紙 1:27シェア↗ 神 は 彼 らに、 異邦人 の 受 くべきこの 奥義 が、いかに 栄光 に 富 んだものであるかを、 知 らせようとされたのである。この 奥義 は、あなたがたのうちにいますキリストであり、 栄光 の 望 みである。
この奥義 = あなたの内におられるキリスト、栄光の望み。
(私自身の考え:「住む」という言葉はエノイケオ(G1774、家に住むこと)であり、客ではなく住人を表す言葉である。キリストの言葉は住人のようにあなたのうちに住むべきである。訪問だけでは足りないからだ。コロサイ3:17は一日全体を覆っているので、歩みの外にある時間はひとつもない。)

13. 競走を走る — 御名を告白し、兵士のように服従する

(私自身の考え:今や歩みは競走となり、私的な答えは公の答えとなる。聖書はこの段階のために二つの絵を用いる。ひとつは賞を目指して走る走者であり、もうひとつは自分の全身を大将に捧げる兵士である。どちらの絵も代償を伴い、どちらも良い結末を迎える。)

14. A. 人の前でキリストを告白すること

マタイによる福音書 10:32シェア↗ だから 人 の 前 でわたしを 受 けいれる 者 を、わたしもまた、 天 にいますわたしの 父 の 前 で 受 けいれるであろう。 (33) しかし、 人 の 前 でわたしを 拒 む 者 を、わたしも 天 にいますわたしの 父 の 前 で 拒 むであろう。
原語キー / Strong’s: ⚑ G3670 homologeo
人の前にてわれを言ひあらはす者は → われもまた天にいます我が父の前にてこれを言ひあらはさん。

15. 異なる視点、同じ場面 — 二つの福音書で語られた一つの約束

ルカによる福音書 12:8シェア↗ そこで、あなたがたに 言 う。だれでも 人 の 前 でわたしを 受 けいれる 者 を、 人 の 子 も 神 の 使 たちの 前 で 受 けいれるであろう。
おおよそ人の前でわたしを言いあらわす者を → 人の子もまた神の御使たちの前でこれを言いあらわすであろう。
(私自身の思い:イエスを告白すること、ホモロゲオー(G3670、同じことを言う)とは、聖書が彼について語ることを、彼について公然と語ることを意味する。マタイでは、その告白が「天にいますわたしの父の前で」応答されることが示され、ルカでは同じ告白が「神の御使いたちの前で」応答されることが示されている。地上の人々の前でイエスの名を口にすれば、彼は天において御前であなたの名を口にされる。)

16. B. 私たちは語らずにはいられない

使徒行伝 4:19シェア↗ ペテロとヨハネとは、これに 対 して 言 った、「 神 に 聞 き 従 うよりも、あなたがたに 聞 き 従 う 方 が、 神 の 前 に 正 しいかどうか、 判断 してもらいたい。 (20) わたしたちとしては、 自分 の 見 たこと 聞 いたことを、 語 らないわけにはいかない」。
自分 の 見 たこと 聞 いたことを、 語 らないわけにはいかない」.
使徒行伝 5:41シェア↗ 使徒 たちは、 御名 のために 恥 を 加 えられるに 足 る 者 とされたことを 喜 びながら、 議会 から 出 てきた。 (42) そして、 毎日 、 宮 や 家 で、イエスがキリストであることを、 引 きつづき 教 えたり 宣 べ 伝 えたりした。
彼の御名のために辱めを受けるに足る者とされたことを喜びつつ → 彼らはイエス・キリストを教え、宣べ伝えることをやめなかった。
ペテロの第一の手紙 4:16シェア↗ しかし、クリスチャンとして 苦 しみを 受 けるのであれば、 恥 じることはない。かえって、この 名 によって 神 をあがめなさい。
もしキリスト者として苦しむ者があれば、恥じることなく、その名によって神をあがめよ。
(私個人の思い:使徒たちはイエスについて語ることをやめられなかった。なぜなら、人は自分が本当に知っている相手について黙っていることができないからである。知ることが語ることを生み出す。つまり第一段階がこの段階を生み出すのである。「クリスチャン」という名はキリストの名を帯びており、それは隠すべき重荷ではなく、神に栄光を帰す理由である。)

17. 兵士のように服従する ― 光の武具を身に着けよ

ローマ人への手紙 12:1シェア↗ 兄弟 たちよ。そういうわけで、 神 のあわれみによってあなたがたに 勧 める。あなたがたのからだを、 神 に 喜 ばれる、 生 きた、 聖 なる 供 え 物 としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき 霊的 な 礼拝 である。
原語キー / Strong’s: ⚑ G3936 paristemi
あなたがたの体を生きた供え物としてささげなさい + 聖なる、神に喜ばれるものとして。
ローマ人への手紙 13:12シェア↗ 夜 はふけ、 日 が 近 づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを 捨 てて、 光 の 武具 を 着 けようではないか。 (13) そして、 宴楽 と 泥酔 、 淫乱 と 好色 、 争 いとねたみを 捨 てて、 昼 歩 くように、つつましく 歩 こうではないか。 (14) あなたがたは、 主 イエス・キリストを 着 なさい。 肉 の 欲 を 満 たすことに 心 を 向 けてはならない。
原語キー / Strong’s: ⚑ G3696 hoplon
闇の行いを脱ぎ捨てよ + 光の武具を着けよ → 主イエス・キリストを着よ。
(私自身の思い:「献げる」という言葉はパリステーミ(G3936、傍らに立つ、委ねる)であり、これは自分の全身を隊長に献げる兵士を表す言葉である。12節は光の武具を着けよと言い、14節は主イエス・キリストを着よと言う(ローマ13:12、ローマ13:14)。武具とは物ではなく一人の人格であり、それゆえ兵士はイエスのために戦うだけでなく、彼を身に着けるのである。)

18. 目標に向かって進む ― 彼によって勝ち得て余りがある

ピリピ人への手紙 3:13シェア↗ 兄弟 たちよ。わたしはすでに 捕 えたとは 思 っていない。ただこの 一事 を 努 めている。すなわち、 後 のものを 忘 れ、 前 のものに 向 かってからだを 伸 ばしつつ、 (14) 目標 を 目 ざして 走 り、キリスト・イエスにおいて 上 に 召 して 下 さる 神 の 賞与 を 得 ようと 努 めているのである。
うしろのものを忘れ → キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるさいわいを得るために、目標を目指して一心に走る。
ローマ人への手紙 8:35シェア↗ だれが、キリストの 愛 からわたしたちを 離 れさせるのか。 患難 か、 苦悩 か、 迫害 か、 飢 えか、 裸 か、 危難 か、 剣 か。 (36) 「わたしたちはあなたのために 終日 、 死 に 定 められており、 ほふられる 羊 のように 見 られている」 と 書 いてあるとおりである。 (37) しかし、わたしたちを 愛 して 下 さったかたによって、わたしたちは、これらすべての 事 において 勝 ち 得 て 余 りがある。
だれが、キリストの 愛 からわたしたちを 離 れさせるのか? → わたしたちは、これらすべての 事 において 勝 ち 得 て 余 りがある.
ヨハネの黙示録 12:10シェア↗ その 時 わたしは、 大 きな 声 が 天 でこう 言 うのを 聞 いた、 「 今 や、われらの 神 の 救 と 力 と 国 と、 神 のキリストの 権威 とは、 現 れた。 われらの 兄弟 らを 訴 える 者 、 夜昼 われらの 神 のみまえで 彼 らを 訴 える 者 は、 投 げ 落 された。 (11) 兄弟 たちは、 小羊 の 血 と 彼 らのあかしの 言葉 とによって、 彼 にうち 勝 ち、 死 に 至 るまでもそのいのちを 惜 しまなかった。
原語キー / Strong’s: ⚑ G3141 marturia
彼らは小羊の血と自分たちのあかしの言葉とによって彼に打ち勝った。
(私自身の思い:パウロは後のものを忘れ、一つの目標、すなわち「キリスト・イエスにおける神の上よりの召しの褒賞」(ピリピ3:14)に向かって進む。この学びの競走は場所へ向かう競走ではなく、一人の人格へ向かう競走である。勝利を得た者たちは、子羊と呼ばれるイエスの血によって、また自分たちの証しの言葉によって勝利したのであり、それゆえ彼の名を告白することが走る者の勝利の道である(黙示録12:11)。)

19. ゴールライン ― 彼を待ち望み、御顔を見る

(私の個人的な感想:この競走の終わりは壁ではなく、顔である。聖書はイエスの再臨の確実性を述べているが、その予定表を示すことを拒む。誰もその日を知らないので、見張れという命令が全ての務めである。)

20. A. 彼は再び現れる

ヘブル人への手紙 9:27シェア↗ そして、一 度 だけ 死 ぬことと、 死 んだ 後 さばきを 受 けることとが、 人間 に 定 まっているように、 (28) キリストもまた、 多 くの 人 の 罪 を 負 うために、一 度 だけご 自身 をささげられた 後 、 彼 を 待 ち 望 んでいる 人々 に、 罪 を 負 うためではなしに二 度目 に 現 れて、 救 を 与 えられるのである。
原語キー / Strong’s: ⚑ G553 apekdechomai
キリストは多くの人の罪を負うためにひとたびささげられ → 彼を待ち望む者たちに、二度目に現れるであろう。
テサロニケ人への第一の手紙 5:1シェア↗ 兄弟 たちよ。その 時期 と 場合 とについては、 書 きおくる 必要 はない。 (2) あなたがた 自身 がよく 知 っているとおり、 主 の 日 は 盗人 が 夜 くるように 来 る。
主 の 日 は 盗人 が 夜 くるように 来 る.
(私自身の思い:「待ち望む」の背後にあるギリシャ語はアペクデコマイ(G553、完全に期待する)であり、一日一回ちらりと見上げるのではなく、毎日前のめりに待つ人の姿を表す。パウロはその後、教会全体に、その日は夜の盗人のように来ると告げ、それゆえ教会にはカレンダーは必要ないと言う。その突然性は恐れの理由ではなく、目を覚まして待つ理由なのである。)

21. B. 目を覚ましていなさい ― すべての人に与えられた唯一の命令

マタイによる福音書 24:42シェア↗ だから、 目 をさましていなさい。いつの 日 にあなたがたの 主 がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。
原語キー / Strong’s: ⚑ G1127 gregoreo
だから、 目 をさましていなさい + いつの 日 にあなたがたの 主 がこられるのか、あなたがたには、わからないからである.

22. 異なる視点、同じ場面 — 二つの福音書における同じ命令

マルコによる福音書 13:33シェア↗ 気 をつけて、 目 をさましていなさい。その 時 がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。
原語キー / Strong’s: ⚑ G69 agrupneo
気 をつけて、 目 をさましていなさい + あなたがたにはわからないからである.
マルコによる福音書 13:37シェア↗ 目 をさましていなさい。わたしがあなたがたに 言 うこの 言葉 は、すべての 人々 に 言 うのである」。
目 をさましていなさい。わたしがあなたがたに 言 うこの 言葉 は、すべての 人々 に 言 うのである」.
(私個人の思い:マタイはグレーゴレオー(G1127、目を覚ましている)を記し、マルコはアグルプネオー(G69、眠らずにいる)を記しており、そこに「そして祈れ」という言葉が加えられている。この二つの言葉は共に、目を開けたまま主に語りかけ続ける一人のしもべを描いている。イエスはこの命令がすべての者に属すると言われるので、目を覚ましていることはすべての信者の立つべき姿勢である(マルコ13:37)。)
テサロニケ人への第一の手紙 5:5シェア↗ あなたがたはみな 光 の 子 であり、 昼 の 子 なのである。わたしたちは、 夜 の 者 でもやみの 者 でもない。 (6) だから、ほかの 人々 のように 眠 っていないで、 目 をさまして 慎 んでいよう。
あなたがたはみな光の子である → われらは眠るべきではない、目を覚まして慎んでいよう。

23. 目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いである

ルカによる福音書 12:35シェア↗ 腰 に 帯 をしめ、あかりをともしていなさい。 (36) 主人 が 婚 宴 から 帰 ってきて 戸 をたたくとき、すぐあけてあげようと 待 っている 人 のようにしていなさい。 (37) 主人 が 帰 ってきたとき、 目 を 覚 しているのを 見 られる 僕 たちは、さいわいである。よく 言 っておく。 主人 が 帯 をしめて 僕 たちを 食卓 につかせ、 進 み 寄 って 給仕 をしてくれるであろう。
汝ら腰に帯をなし、燈火をともしておれ→ 主人の来る時、目を覚ましているを見らるる僕どもは幸いなり。
ヨハネの黙示録 3:11シェア↗ わたしは、すぐに 来 る。あなたの 冠 がだれにも 奪 われないように、 自分 の 持 っているものを 堅 く 守 っていなさい。
原語キー / Strong’s: ⚑ G5035 tachu
わたしは、すぐに 来 る → あなたの 冠 がだれにも 奪 われないように、 自分 の 持 っているものを 堅 く 守 っていなさい.
(私の個人的な思い:古代において、人は激しい労働の前に長い衣を帯で締めた。それゆえ、帯を締めた衣と灯された明かりは、備えができて目を覚ましている家を意味した。それからイエスは、誰も敢えて作り出さなかったであろう結末を付け加えられる。なぜなら、帰って来た主人が自ら衣を帯で締め、見張っていたしもべたちを食卓に着かせ、自らの手で彼らに給仕されるからである。見張っているしもべは、恐れではなく、夕食を待ち望んでいる。)

24. イエス・キリストは同じである — きのうも、今日も、いつまでも

ヘブル人への手紙 13:8シェア↗ イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも 変 ることがない。
イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも 変 ることがない.
ヨハネの黙示録 1:8シェア↗ 今 いまし、 昔 いまし、やがてきたるべき 者 、 全能者 にして 主 なる 神 が 仰 せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。
今 いまし、 昔 いまし + 全能者 にして 主 なる 神 が 仰 せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」.
(私の個人的な感想:ゴールラインは動かない。なぜなら、イエス・キリストは時の三つの方向すべてにおいて同じ方であるからだ(ヘブル13:8)。アルファとオメガとは、ギリシャ語アルファベットの最初の文字と最後の文字であり、それゆえイエスは物語全体の両端に立っておられる。ゴールラインで見る顔は、見知らぬ者の顔ではないだろう。)

25. E. 顔と顔とを合わせて — 知られているごとく知る

詩篇 17:15シェア↗ しかしわたしは 義 にあって、み 顔 を 見 、 目 ざめる 時 、みかたちを 見 て、 満 ち 足 りるでしょう。
原語キー / Strong’s: ⚑ H2372 chazah · ⚑ H8544 temunah
私は義において御顔を見るであろう → 私は目覚めるとき、御姿に満ち足りるであろう。
ヨハネの第一の手紙 3:2シェア↗ 愛 する 者 たちよ。わたしたちは 今 や 神 の 子 である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ 明 らかではない。 彼 が 現 れる 時 、わたしたちは、 自分 たちが 彼 に 似 るものとなることを 知 っている。そのまことの 御姿 を 見 るからである。 (3) 彼 についてこの 望 みをいだいている 者 は 皆 、 彼 がきよくあられるように、 自 らをきよくする。
原語キー / Strong’s: ⚑ G3700 optanomai
主の現れたまう時われら之に肖んことを知ればなり、我らその真の状を見るべければなり → すべて主にこの望みを置く者は、主の潔きがごとく己を潔くす。
コリント人への第一の手紙 13:12シェア↗ わたしたちは、 今 は、 鏡 に 映 して 見 るようにおぼろげに 見 ている。しかしその 時 には、 顔 と 顔 とを 合 わせて、 見 るであろう。わたしの 知 るところは、 今 は一 部分 にすぎない。しかしその 時 には、わたしが 完全 に 知 られているように、 完全 に 知 るであろう。
今わたしたちは、鏡におぼろに映るものを見ているが + かの時には顔と顔とを合わせて見るであろう → かの時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
ヨハネの黙示録 22:3シェア↗ のろわるべきものは、もはや 何 ひとつない。 神 と 小羊 との 御座 は 都 の 中 にあり、その 僕 たちは 彼 を 礼拝 し、 (4) 御顔 を 仰 ぎ 見 るのである。 彼 らの 額 には、 御名 がしるされている。
彼のしもべたちは彼に仕えるであろう → 彼らは彼の御顔を見るであろう + 彼の名は彼らの額にあるであろう。
(私自身の考え:これこそ、この歩み全体が向かっていたところである。なぜなら、私たちはイエスをありのままに見るとき、イエスに似た者となるからである(ヨハネの手紙一3:2)。この望みを抱く者は、イエスに会うことを期待して、今、自分を清める。はいずりとして始まった知ることは、顔と顔とを合わせて見ることで終わる(コリント人への第一の手紙13:12)。)

二人の口

ヨブ記 19:25シェア↗ わたしは 知 る、 わたしをあがなう 者 は 生 きておられる、 後 の 日 に 彼 は 必 ず 地 の 上 に 立 たれる。 (26) わたしの 皮 がこのように 滅 ぼされたのち、 わたしは 肉 を 離 れて 神 を 見 るであろう。 (27) しかもわたしの 味方 として 見 るであろう。 わたしの 見 る 者 はこれ 以外 のものではない。 わたしの 心 はこれを 望 んでこがれる。
原語キー / Strong’s: ⚑ H1350 gaal
わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる → わたしはこの肉体をもって神を見るであろう + わたしの目が見るのであって、ほかの人の目ではない。
詩篇 17:15シェア↗ しかしわたしは 義 にあって、み 顔 を 見 、 目 ざめる 時 、みかたちを 見 て、 満 ち 足 りるでしょう。
わたしはあなたの顔を見る + わたしが目ざめるとき、わたしは満ち足りるであろう。
ヨハネの第一の手紙 3:2シェア↗ 愛 する 者 たちよ。わたしたちは 今 や 神 の 子 である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ 明 らかではない。 彼 が 現 れる 時 、わたしたちは、 自分 たちが 彼 に 似 るものとなることを 知 っている。そのまことの 御姿 を 見 るからである。
彼が現れるとき → 私たちは彼をありのままに見るであろう。
コリント人への第二の手紙 13:1シェア↗ わたしは 今 、三 度目 にあなたがたの 所 に 行 こうとしている。すべての 事 がらは、ふたりか三 人 の 証人 の 証言 によって 確定 する。
すべての 事 がらは、ふたりか三 人 の 証人 の 証言 によって 確定 する.
(私の個人的な思い:この歩みの終わりには三人の証人が立っている。ヨブ、ダビデ、そしてヨハネは皆、神を見ると言っている。この三人はそれぞれ異なる時代に生きたが、一つの証しを与えている。聖書は「ふたりまたは三人の証人の口によって、すべての事は確定する」と言っている。それゆえ、神と共に歩む道は神を見ることに終わる(コリント人への第二の手紙13章1節)。)

影と実現

地面に落ちている影を思い浮かべてほしい。影の形は見える。しかし形だけでは、何がその影を落としているのかは分からない。まことの光がその物自体を示すまで、影は謎のままである。そのとき初めて、あなたはその影を振り返る。すると、その影が最初からその物の形を帯びていたことが分かる。旧約聖書に描かれた数々の型は、そのような影である。それらは本物の影であり、真実の体によって本当に形づくられている。聖書はそれらの型を「来たるべき事がらの影」と呼んでいる(コロサイ2:17)。同じ節は「実体はキリストにある」とも言う。影は「まさしき形そのもの」ではない(ヘブライ10:1)。誰も影だけから全ての真理を読み取ることはできなかった。私たちは決して影だけの上に教えを築くことはしない。新約聖書の光がその影の属する体を示してくれたときにのみ、私たちはそれを影と呼ぶのである。この箇所では、新約聖書の光がその体をはっきりと名指ししている。
1. 出エジプト記 13:21シェア↗ 主 は 彼 らの 前 に 行 かれ、 昼 は 雲 の 柱 をもって 彼 らを 導 き、 夜 は 火 の 柱 をもって 彼 らを 照 し、 昼 も 夜 も 彼 らを 進 み 行 かせられた。 (22) 昼 は 雲 の 柱 、 夜 は 火 の 柱 が、 民 の 前 から 離 れなかった。
原語キー / Strong’s: ⚑ H5982 ammud
主は昼は雲の柱のうちにあって彼らの前を行き → 主はその雲の柱を民の前から離されなかった。
2. ヨハネによる福音書 8:12シェア↗ イエスは、また 人々 に 語 ってこう 言 われた、「わたしは 世 の 光 である。わたしに 従 って 来 る 者 は、やみのうちを 歩 くことがなく、 命 の 光 をもつであろう」。
わたしは世の光である → わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、いのちの光を持つであろう。
3. コリント人への第一の手紙 10:1シェア↗ 兄弟 たちよ。このことを 知 らずにいてもらいたくない。わたしたちの 先祖 はみな 雲 の 下 におり、みな 海 を 通 り、 (2) みな 雲 の 中 、 海 の 中 で、モーセにつくバプテスマを 受 けた。 (3) また、みな 同 じ 霊 の 食物 を 食 べ、 (4) みな 同 じ 霊 の 飲 み 物 を 飲 んだ。すなわち、 彼 らについてきた 霊 の 岩 から 飲 んだのであるが、この 岩 はキリストにほかならない。
私たちの先祖はみな雲の下におり → 彼らについて来た霊的な岩から飲んだ + その岩とはキリストであった。
(私個人の思い:イスラエルは四十年間、雲の柱と火の柱の後に従って歩んだが、その歩みはすべて地上における影であった。新約聖書は光を灯す。イエスは「わたしは世の光である」と言われ、パウロは「その岩とはキリストであった」と書いている(ヨハネ8:12、コリント人への第一の手紙10:4)。イエスと共に日々歩むことは、聖書の中で最も古い歩みである。)

閉会

ヨハネによる福音書 14:2シェア↗ わたしの 父 の 家 には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう 言 っておいたであろう。あなたがたのために、 場所 を 用意 しに 行 くのだから。 (3) そして、 行 って、 場所 の 用意 ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに 迎 えよう。わたしのおる 所 にあなたがたもおらせるためである。
わたしはあなたがたのために場所を用意しに行く → またもう一度来て、あなたがたをわたしのもとに迎える + わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためである。
ヨハネの黙示録 22:20シェア↗ これらのことをあかしするかたが 仰 せになる、「しかり、わたしはすぐに 来 る」。アァメン、 主 イエスよ、きたりませ。
見よ、わたしはすぐに来る → しかり、主イエスよ、来りませ。
(私の個人的な思い:さあ、家路の全体をまとめよう。父は歩き始めたばかりの者を引き寄せ、歩む者は日々イエスと共にとどまり、走る者はその名を告白し、見張る者はその灯を燃やし続ける。イエスは場所を約束されただけでなく、ご自身を約束された、「わたしはまた来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」(ヨハネによる福音書14章3節)と言われたように。歩み続けよ、あなたはイエスに向かって歩んでいるのであり、彼もまたすでにあなたに向かって来られているのだから。)

練習クイズ

1. マタイ16:16 — シモン・ペテロ答へて言ふ、汝はキリスト、
a) イスラエルの王
b) 生ける神の子
c) ダビデの子
わが羊はわが声をきき、我はこれを知る:
a) そして彼らはわたしに従う
b) また、わたしは羊のためにいのちを捨てる
c) 彼らは決して滅びることがない
3. マタイ11:29 — われは柔和にして心卑ければ、わが軛を負いて我に学べ。
a) わたしがあなたがたを休ませてあげよう
b) わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである
c) さらば汝らの魂に安息を得ん
4. 黙示録12:11 ― 彼らは小羊の血によって彼に打ち勝ち:
a) その力の言葉によって
b) そして彼らのあかしの言葉によって
c) その十字架の血によって
5. ヨハネの第一の手紙 3章2節 ― されど我らは彼の顕れたまわん時、己の彼に肖んことを知る。
a) すべての目が彼を見る
b) その人たちは神を見るからである
c) わたしたちは彼をありのままに見るからである
6. ヘブル人への手紙13章8節 — イエス・キリストは、きのうも、今日も、
a) そして永遠に
b) あなたの年は尽きることがない
c) 世々限りなく
7. マタイ24:42 — だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは知らないからである:
a) その日、その時
b) あなたがたの主が来られる時
c) その時が来たとき
解答:1-b、2-a、3-c、4-b、5-c、6-a、7-b

このスタディの分岐

→ 影がどのように光をもたらすか:主はイスラエルの前を雲の柱と火の柱によって進まれ、その柱は民から離れることがなかった(出エジプト記13:21-22)。イエスは「わたしは世の光である」と言われる(ヨハネ8:12)。パウロは、先祖たちは霊的な岩から飲んだ、「その岩はキリストであった」と言う(コリント人への第一の手紙10:4)。
→新しい契約はこれをどのように解き明かしているか:アモスは言う、「二人若し相約せずば、いかで共に歩まんや」(アモス書3:3)。新約聖書は命令と約束をもって答える。「汝らキリストに在りて歩め」(コロサイ人への手紙2:6)。「汝らの内にいますキリスト、これ栄光の望みなり」(コロサイ人への手紙1:27)。
→言葉の重要性について:英語の一語「watch(見張る)」は、二つのギリシャ語に対応している。マタイ伝24章42節ではgregoreo(G1127、目を覚ましている)が用いられる。マルコ伝13章33節ではagrupneo(G69、眠らずにいる)が用いられ、マルコはさらに「祈れ」と付け加える。この一つの命令は、目と祈りの両方を包含している。
→ これがあなたにどう適用されるか:議会はペテロとヨハネが「イエスと共にいたこと」を知っていた(使徒4:13)。イエスと共に過ごした時間は跡を残す。あなたの周りの人々はその跡を見ることができる。
→これが永遠にとって何を意味するか:「今わたしは一部分知るのみなれど、かの時には、我が知られたる如く知るべし」(コリント人への第一の手紙13:12)。この世で始まる知ることは、死によって失われることはない。それはイエスの御顔において完成する(黙示録22:4)。
→ 脱線:ルカ12:37は、帰ってきた主人が目を覚ましていたしもべたちを食卓に着かせ、主人自らがしもべたちに給仕する様子を示している。イエスは「わたしはあなたがたの中で、仕える者としている」と言われる(ルカ22:27)。イエスは「わたしは彼と共に食し、彼もわたしと共に食するであろう」と約束される(黙示録3:20)。自分のしもべに仕える主人については、それ自体で一つの完全な研究に値する。
→ 考えられる啓示:この学びにおける最初の招きは「来て見なさい」(ヨハネ1:46)である。この学びにおける最後の約束は「彼らはみ顔を見る」(黙示録22:4)である。イエスとの歩みは見ることに始まり、見ることに終わる。その間のすべての段階は、同じみ顔をより鮮明に見ることである。これを単独で述べている節は一つもない。これらの節を並べて考えてみなさい。

ギリシャ語キーワード

これはこのスタディのキーワードです。上の聖句の中の点線付きの単語をタップすると、意味がここに表示されます。
“知る”G1097 ginosko知ること、気づくこと、認識すること、確信すること
永遠のいのちはこの言葉によって定義される。「永遠の生命とは、唯一の真の神にいます汝と、なんじの遣わしたまえるイエス・キリストとを知るにあり」(ヨハネ17:3)。この言葉は知識を暗記することではなく、人格を知ることを意味する。
“現された”G601 apokalupto覆いを取り除くこと、明らかにすること、啓示すること
肉と血とは、イエスが誰であるかをペテロに示さなかった。父がその覆いを取り除かれたのである(マタイ16:17)。
“学ぶ”G3129 manthano学ぶこと、理解すること
イエスは「われに学べ」と言われる(マタイによる福音書11:29)。その学びは、彼のくびきの下、教師のそば近くで行われる。
“従う”G190 akoloutheo伴う、同じ道を共に行く、従う
羊は羊飼いと同じ道を、一日一日進んで行く(ヨハネ10:27)。
“住む”G1774 enoikeo住む、内に住む
キリストの言葉は、客のように訪れるのではなく、住人のように人の内に住むことを意図されている(コロサイ人への手紙3:16)。
“告白する”G3670 homologeo同意すること、認めること、同じことを言うこと、公言すること
イエスを告白するとは、聖書がイエスについて言っていることと同じことを公然と言うことである(マタイ10:32)。
“証し”G3141 marturia証拠、記録、証し、証言
勝利を得た者たちは、子羊の血と自分たちの証しの言葉によって勝ったのである(ヨハネの黙示録12:11)。
“現在”G3936 paristemiそばに立つこと、差し出すこと、明け渡すこと
信じる者は自分のからだを、全きものとして生きたまま神にささげる、隊長の前に立つ兵士のように(ローマ人への手紙12:1)。
“武具”G3696 hoplon道具、武具、器具、武器
12節は光の武具を着けよと言い、14節は主イエス・キリストを着よと言う。その武具とは一人の人格である(ローマ13:12-14)。
“見る”G553 apekdechomai十分に期待すること、待ち望むこと
イエスは、「彼を待ち望む者たち」に第二の顕現を約束しておられる(ヘブル9:28)。この言葉は、満ちた期待をもって前のめりになることを意味する。
“見張る”G1127 gregoreo目を覚ましていること、油断しないこと、見張ること
これはマタイの福音書における警戒の言葉である。しもべは目を開いて見張っている(マタイ24:42)。
“見張る”G69 agrupneo眠らないこと、目を覚ましていること、見張ること
これはマルコによる福音書における合言葉である。マルコはこの言葉を祈りと結びつけている。しもべは眠らずにいる。しもべは祈り続ける(マルコ13:33)。
“速やかに”G5035 tachuまもなく、遅滞なく、突然に、速やかに
「見よ、われ速やかに来る」(黙示録3:11)。この言葉は突然性を含み、予定表を示すものではない。
“見る”G3700 optanomai目を大きく見開いて見つめる、見る、現れる
「私たちは彼をありのままに見るであろう」(ヨハネの第一の書3:2)。この言葉は、著しいものを見つめることを表している。

ヘブライ語キーワード

“知る”H3045 yada知る、認める、よく知っている
神は「我を知るの心」を与えると約束された(エレミヤ24:7)。旧約における「知る」とは人格を知ることであり、新約のギノスコーと同じである。
“心”H3820 leb心、感情、意志、理解
神は彼を知る心を与えられる。その知ることは、頭の中だけにとどまるようには決して意図されていなかった(エレミヤ書24:7)。
“歩む”H3212 yalak歩む、行く、来る、去る
アモスは、二人が同意なくして共に歩めるだろうかと問いかけている(アモス書3:3)。この研究の第二段階全体が、この言葉の中に息づいている。
“柱”H5982 ammud柱、支柱、柱状のもの
雲の柱と火の柱はイスラエルの前を進んだ。その柱は民から離れることがなかった(出エジプト13:21-22)。その柱は影であり、キリストは実体である(コリント第一10:4)。
“贖い主”H1350 gaal贖うこと、親族としてふるまうこと、買い戻すこと
古代において、最も近い親族が家族の一員を負債や奴隷の状態から買い戻した。ヨブは生ける神を「わが贖い主」と呼ぶ。ヨブは自分の肉体において神を見ることを期待している(ヨブ19:25-26)。
“見よ”H2372 chazah見つめる、認める、眺める
ダビデはこの言葉を、最後の朝について用いている。「私は義において御顔を見るであろう」(詩篇17:15)。
“姿”H8544 temunah形、像、似姿、類似
ダビデは神に似た者として目覚め、満ち足りる(詩篇17:15)。ヨハネは、見ることによって私たちがイエスに似た者となると言う(ヨハネの手紙第一3:2)。

よくできました — 続けましょう。

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SOURCES & CREDITS

Scripture: Kougo (Colloquial) (Public Domain (1955 口語訳聖書 — Japan Bible Society's own copyright page confirms the copyright protection period has ended; see registry/JAPANESE_LEGAL_PATH.md. Moral/integrity rights are preserved under Japanese law, so the text is rendered verbatim only, never altered -- pipeline.VERBATIM_LANGS.)) — a redistributable edition, looked up exactly and never machine-translated.
Alternate chapter/verse numbering reconciled with STEPBible TVTMS (CC BY 4.0).
Strong's numbering & original-language data: OpenScriptures Hebrew Bible (CC BY 4.0); STEPBible.org — TAHOT/TAGNT/TBESH/TBESG (CC BY 4.0); Robinson-Pierpont Byzantine Majority Text (Public Domain); Strong's dictionary, 1890 (Public Domain).
Typography: Google Noto fonts (SIL Open Font License 1.1).
© SEE MORE JESUS · wanttoseemore.com — shared under Creative Commons Attribution 4.0 (CC BY 4.0).
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