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力ある神 — ストロング番号付きKJV聖書study
ベツレヘム以前のイエスは誰であったか — 複数の声、主の使い、イサクにおける木
聖書の基礎教理 — イエス・キリストの福音
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この部分は、創造の時から始めて、イエスとは誰かを問う。そこで神は「われわれのかたちに人を造ろう」と言われる。そして、人々が顔と顔を合わせて出会い、神と呼んだ、主の使いと呼ばれる方をたどっていく。最後は、アブラハムが愛した唯一の子、イサクの上に置かれた木にたどり着く。すべての答えは聖書そのもの、聖書自身の言葉から得られる。
本研究が答える三つの問い:
1. 神が一人であるなら、創世記1章26節で語る「私たち」とは誰のことか。
2. 人々が顔と顔を合わせて会い、神と呼んだ主の使いとは誰ですか。
3. イサク、その独り子の上に置かれた薪は、何を予表していたか。
OPENING ANCHOR(冒頭のアンカー)
イザヤ書 9:6 シェア↗ ひとりのみどりごがわれわれのために 生 れた、 ひとりの 男 の 子 がわれわれに 与 えられた。 まつりごとはその 肩 にあり、 その 名 は、「 霊妙 なる 議 士 、 大能 の 神 、 とこしえの 父 、 平和 の 君 」ととなえられる。
ひとりのみどりごが生まれ + ひとりの男の子が与えられる --> その名は大能の神ととなえられる。
イエスの誕生の七百年前、ひとりの預言者が、この子は「力ある神」と呼ばれると記した。幼子イエスは飼い葉桶に横たえられた。この聖句をゆっくりと読みなさい。これらの聖句は、この研究全体のメッセージを語っている。
1. A. 「われわれは」と言われた神 — 唯一の神であり、語る者は一人にとどまらない
1. 創世記 1:26 シェア↗ 神 はまた 言 われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって 人 を 造 り、これに 海 の 魚 と、 空 の 鳥 と、 家畜 と、 地 のすべての 獣 と、 地 のすべての 這 うものとを 治 めさせよう」。 (27) 神 は 自分 のかたちに 人 を 創造 された。すなわち、 神 のかたちに 創造 し、 男 と 女 とに 創造 された。
われら形の如くに我らに似せて人を造らん --> 神はその形の如くに人を創造したまへり。
(私の個人的な考え:創世記1章26節と1章27節を合わせて読みなさい。この二つの節の違いを和らげてはならない。創世記1章26節には「われわれ」「われわれの」とある。創世記1章27節には「自分のかたちに」「神は創造された」とあり、どちらも単数形である。聖書はこの二つの節を、弁明することなく並べて記している。聖書はただそのまま両方を記しているだけである。)
2. 創世記 3:22 シェア↗ 主 なる 神 は 言 われた、「 見 よ、 人 はわれわれのひとりのようになり、 善悪 を 知 るものとなった。 彼 は 手 を 伸 べ、 命 の 木 からも 取 って 食 べ、 永久 に 生 きるかも 知 れない」。
視よ、人は我らの一人のごとくなりて善悪を知るに至れり。
3. 創世記 11:7 シェア↗ さあ、われわれは 下 って 行 って、そこで 彼 らの 言葉 を 乱 し、 互 に 言葉 が 通 じないようにしよう」。
われわれは下って行って、彼らの言葉を乱そう。
4. イザヤ書 6:8 シェア↗ わたしはまた 主 の 言 われる 声 を 聞 いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために 行 くだろうか」。その 時 わたしは 言 った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。
わたしはだれを遣わそうか。だれがわれわれのために行くだろうか。
(私個人の考え:イザヤ書6章8節をよく見てほしい。イザヤ書6章8節には、同じ一文の中に両方の形がある。「誰を遣わそうか」と「誰がわれわれのために行くだろうか」。同じ語り手が単数形と複数形を一緒に用いている。これは書き間違いではない。これは神が自分ひとりを描写するために複数形の言葉を使っているのでもない。この同じパターンは、聖書の多くの異なる書、何世紀にもわたって、何度も起こっている。)
5. 申命記 6:4 シェア↗ イスラエルよ 聞 け。われわれの 神 、 主 は 唯一 の 主 である。 原語キー / Strong’s: ⚑ H259 echad
イスラエルよ 聞 け。われわれの 神 、 主 は 唯一 の 主 である.
(私の個人的な思い:申命記6章4節はこの学び全体を支配している。神は唯一である。二柱の神はいない。三柱の神もいない。多くの神々もいない。この学びの中で第二の神を示唆するように思える箇所があれば、それは読み違いである。申命記6章4節がその試金石となる。この節が「唯一」に用いているヘブライ語の言葉に注目してほしい。その言葉はエハドである。エハドは、夕と朝が二つの部分から成るにもかかわらず、それを「一日」と呼ぶ時に使われるのと同じ言葉である。エハドは、夫と妻が二人の人であるにもかかわらず、彼らを「一つの肉」と呼ぶ時に使われるのと同じ言葉である。聖書は、その内に複数の人格を含み得る言葉を「一」のために選んだのである。創世記1章26節では、神が「われわれは……造ろう」と言われたことが記録されている。)
6. イザヤ書 45:5 シェア↗ わたしは 主 である。 わたしのほかに 神 はない、ひとりもない。 あなたがわたしを 知 らなくても、 わたしはあなたを 強 くする。
わたしは主である + ほかに神はない + わたしのほかに神はない。
(私自身の考え:イザヤ書45章5節は、この真理のもう一つの側面を述べています。この学びはイザヤ書45章5節を避けません。神は、自分のほかに神はいないと明確に述べています。この学びがこれから先のページで何を見出そうとも、それが第二の神を付け加えることは決してあり得ません。この学びが実際に見出すのは、第二の神よりも不思議で、より優れたものです。この学びは、唯一の神がご自身を人々に知らしめておられることを見出すのです。)
2. B. 主の使いと呼ばれる方 — 神とも呼ばれる方
「御使い」と訳されるヘブライ語はマラク(H4397)である。マラクとは、遣わされた者という意味である。マラクは、遣わされた者の任務を示す名称であって、その者の本質を示すものではない。以下の記事において、聖書がこの特定の遣わされた者をどのように扱っているかに注目せよ。
3. B1. 荒野のハガル — 彼女は彼に名をつける
創世記 16:7 シェア↗ 主 の 使 は 荒野 にある 泉 のほとり、すなわちシュルの 道 にある 泉 のほとりで、 彼女 に 会 い、 (8) そして 言 った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ 行 くのですか」。 彼女 は 言 った、「わたしは 女 主人 サライの 顔 を 避 けて 逃 げているのです」。 (9) 主 の 使 は 彼女 に 言 った、「あなたは 女 主人 のもとに 帰 って、その 手 に 身 を 任 せなさい」。 (10) 主 の 使 はまた 彼女 に 言 った、「わたしは 大 いにあなたの 子孫 を 増 して、 数 えきれないほどに 多 くしましょう」。 原語キー / Strong’s: ⚑ H4397 malak
主 の 使 はまた 彼女 に 言 った、「わたしは 大 いにあなたの 子孫 を 増 して.
創世記 16:13 シェア↗ そこで、ハガルは 自分 に 語 られた 主 の 名 を 呼 んで、「あなたはエル・ロイです」と 言 った。 彼女 が「ここでも、わたしを 見 ていられるかたのうしろを 拝 めたのか」と 言 ったことによる。
そこで、ハガルは 自分 に 語 られた 主 の 名 を 呼 んで、「あなたはエル・ロイです」と 言 った.
(私の個人的な考え:創世記16章の中で、読者を立ち止まらせるべきことが二つあります。第一に、「主の使い」と呼ばれる者が「わたしはあなたの子孫を増し加えよう」と言います。主の使いは「主があなたの子孫を増し加えられる」とは言いません。主の使いは、その増し加えを行う者として語っているのです。第二に、ハガルの意見ではなく、聖書の本文そのものが、この主の使いを「彼女に語られた主」と呼んでいます。ハガルはこの同じ方を「あなたは神」と呼んでいます。創世記の記者はハガルと同じ見解を示しています。)
4. B2. イサクの上に置かれた手 — 主は自らにかけて誓われる
創世記 22:11 シェア↗ 主 の 使 が 天 から 彼 を 呼 んで 言 った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。 彼 は 答 えた、「はい、ここにおります」。 (12) み 使 が 言 った、「わらべを 手 にかけてはならない。また 何 も 彼 にしてはならない。あなたの 子 、あなたのひとり 子 をさえ、わたしのために 惜 しまないので、あなたが 神 を 恐 れる 者 であることをわたしは 今 知 った」。
あなたが 神 を 恐 れる 者 であることをわたしは 今 知 った」.
創世記 22:15 シェア↗ 主 の 使 は 再 び 天 からアブラハムを 呼 んで、 (16) 言 った、「 主 は 言 われた、『わたしは 自分 をさして 誓 う。あなたがこの 事 をし、あなたの 子 、あなたのひとり 子 をも 惜 しまなかったので、 (17) わたしは 大 いにあなたを 祝福 し、 大 いにあなたの 子孫 をふやして、 天 の 星 のように、 浜 べの 砂 のようにする。あなたの 子孫 は 敵 の 門 を 打 ち 取 り、 (18) また 地 のもろもろの 国民 はあなたの 子孫 によって 祝福 を 得 るであろう。あなたがわたしの 言葉 に 従 ったからである』」。
主は言い給う、我は己にかけて誓えり。なんじの裔によりて地の全ての国民は祝福を得ん。
(私個人の考察:創世記22章11-18節にある二つの言葉に注目してほしい。第一の言葉は「あなたはあなたの子をわたしから惜しまなかった」である。アブラハムは自分の息子を神にささげようとしていた。この言葉の話者は、息子が話者から惜しまれなかったと言っている。第二の言葉は「主は言われる、わたしは自分自身にかけて誓う」である。古代においては、人はその人よりも偉大な者にかけて誓うものであった。ただ言葉を伝えるだけの被造物である使者は、自分自身にかけて誓うことはしない。被造物である使者は、神の契約の名によって誓いに署名することはしない。ヘブル人への手紙6章13節はその理由を示している。ヘブル人への手紙6章13節は、神がご自身にかけて誓われたと述べている。ヘブル人への手紙6章13節はその理由をこう述べている、「それより大いなるものがなかったから」。)
5. B3. ヤコブはある人と格闘する — その場所を「神の顔」と名付ける
創世記 32:24 シェア↗ ヤコブはひとりあとに 残 ったが、ひとりの 人 が、 夜明 けまで 彼 と 組打 ちした。 (25) ところでその 人 はヤコブに 勝 てないのを 見 て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その 人 と 組打 ちするあいだにはずれた。 (26) その 人 は 言 った、「 夜 が 明 けるからわたしを 去 らせてください」。ヤコブは 答 えた、「わたしを 祝福 してくださらないなら、あなたを 去 らせません」。
ひとりの人が彼と組み打ちした-->あなたがわたしを祝福してくださらなければ、あなたを去らせません。
創世記 32:28 シェア↗ その 人 は 言 った、「あなたはもはや 名 をヤコブと 言 わず、イスラエルと 言 いなさい。あなたが 神 と 人 とに、 力 を 争 って 勝 ったからです」。 (29) ヤコブは 尋 ねて 言 った、「どうかわたしにあなたの 名 を 知 らせてください」。するとその 人 は、「なぜあなたはわたしの 名 をきくのですか」と 言 ったが、その 所 で 彼 を 祝福 した。 (30) そこでヤコブはその 所 の 名 をペニエルと 名 づけて 言 った、「わたしは 顔 と 顔 をあわせて 神 を 見 たが、なお 生 きている」。
汝は君として神と力を争いて勝てり --> われ面と面とを合わせて神を見たるに、なお生命ながらえたり。
(私個人の考え:創世記32章の本文は、この人物を「人」と呼んでいます。ヤコブと格闘したこの人は、ヤコブが神とともに力を持っていると言います。ヤコブはその場所を「神の顔」と名付けます。ヤコブは自分の命が救われたと言います。ヤコブはこの人に名前を尋ねます。ヤコブは名前を受け取らず、逆に問いを返されるだけです。この答えられなかった名前についての問いを覚えておいてください。同じ問いが、何百年も後、聖書の別の書において再び現れます。)
6. B4. 燃える柴 — 「わたしは有る」という御使い
出エジプト記 3:2 シェア↗ ときに 主 の 使 は、しばの 中 の 炎 のうちに 彼 に 現 れた。 彼 が 見 ると、しばは 火 に 燃 えているのに、そのしばはなくならなかった。 (3) モーセは 言 った、「 行 ってこの 大 きな 見 ものを 見 、なぜしばが 燃 えてしまわないかを 知 ろう」。 (4) 主 は 彼 がきて 見定 ようとするのを 見 、 神 はしばの 中 から 彼 を 呼 んで、「モーセよ、モーセよ」と 言 われた。 彼 は「ここにいます」と 言 った。 (5) 神 は 言 われた、「ここに 近 づいてはいけない。 足 からくつを 脱 ぎなさい。あなたが 立 っているその 場所 は 聖 なる 地 だからである」。 (6) また 言 われた、「わたしは、あなたの 先祖 の 神 、アブラハムの 神 、イサクの 神 、ヤコブの 神 である」。モーセは 神 を 見 ることを 恐 れたので 顔 を 隠 した。
主の使いは火の炎のうちに現れたり。神は柴の中より彼に呼びかけ給えり。
出エジプト記 3:14 シェア↗ 神 はモーセに 言 われた、「わたしは、 有 って 有 る 者 」。また 言 われた、「イスラエルの 人々 にこう 言 いなさい、『「わたしは 有 る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。
わたしは有りて有る者 --> 「わたしは有る」が、わたしをあなたたちに遣わされた。
(My personal thoughts: Exodus 3:2 says the angel of the LORD. Exodus 3:4 says the LORD, and God. The same bush, the same fire, and the same voice appear in both verses, two verses apart. The Bible never treats this as a contradiction. This same voice then gives the name that Israel would carry for ever: I AM THAT I AM.)
7. B5. マノアとその妻 — 「不思議」という名
士師記 13:3 シェア↗ 主 の 使 がその 女 に 現 れて 言 った、「あなたはうまずめで、 子 を 産 んだことがありません。しかし、あなたは 身 ごもって 男 の 子 を 産 むでしょう。
主 の 使 がその 女 に 現 れて 言 った --> あなたは 身 ごもって 男 の 子 を 産 むでしょう.
士師記 13:17 シェア↗ マノアは 主 の 使 に 言 った、「あなたの 名 はなんといいますか。あなたの 言 われたことが 事実 となったとき、わたしたちはあなたをあがめましょう」。 (18) 主 の 使 は 彼 に 言 った、「わたしの 名 は 不思議 です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか」。 原語キー / Strong’s: ⚑ H6383 piliy
「わたしの 名 は 不思議 です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか」?
士師記 13:20 シェア↗ すなわち 炎 が 祭壇 から 天 にあがったとき、 主 の 使 は 祭壇 の 炎 のうちにあってのぼった。マノアとその 妻 は 見 て、 地 にひれ 伏 した。 (21) 主 の 使 はふたたびマノアとその 妻 に 現 れなかった。その 時 マノアは 彼 が 主 の 使 であることを 知 った。 (22) マノアは 妻 に 向 かって 言 った、「わたしたちは 神 を 見 たから、きっと 死 ぬであろう」。
主の使いは祭壇の炎の中を上って行った --> 私たちは神を見たのだから、必ず死ぬに違いない。
(私個人の感想:士師記13章には三つの点が際立っている。マノアは名を尋ねる、ちょうど創世記32章でヤコブがしたのと同じように。名は再びマノアに対して隠される、今回はその理由が述べられている。その理由として与えられているヘブライ語はピリー(H6383)である。欽定訳(KJV)はピリーを「秘密」と訳している。ピリーは「知られるにはあまりにも不思議な」という意味である。ピリーは、イザヤ書9章6節で私たちのために生まれる子が「不思議」と訳されている語ペレ(H6382)と同じ語根に由来する。この同じ主の使いは、その後、祭壇の炎の中を上って行く。マノア自身の結論は「私たちは御使いを見た」ではない。マノアの結論は「私たちは神を見た」である。)
8. B6. エリコの外の将軍──礼拝され、履物を脱ぐ
ヨシュア記 5:13 シェア↗ ヨシュアがエリコの 近 くにいたとき、 目 を 上 げて 見 ると、ひとりの 人 が 抜 き 身 のつるぎを 手 に 持 ち、こちらに 向 かって 立 っていたので、ヨシュアはその 人 のところへ 行 って 言 った、「あなたはわれわれを 助 けるのですか。それともわれわれの 敵 を 助 けるのですか」。 (14) 彼 は 言 った、「いや、わたしは 主 の 軍勢 の 将 として 今 きたのだ」。ヨシュアは 地 にひれ 伏 し 拝 して 言 った、「わが 主 は 何 をしもべに 告 げようとされるのですか」。 (15) すると 主 の 軍勢 の 将 はヨシュアに 言 った、「あなたの 足 のくつを 脱 ぎなさい。あなたが 立 っている 所 は 聖 なる 所 である」。ヨシュアはそのようにした。 原語キー / Strong’s: ⚑ H8269 sar
ヨシュアは地にひれ伏して拝した。あなたの足のくつを脱げ、あなたの立っている場所は聖なる地であるから。
9. 異なる視点、同じ場面 — 靴を脱ぐように命じられた二人の人物
出エジプト記 3:5 シェア↗ 神 は 言 われた、「ここに 近 づいてはいけない。 足 からくつを 脱 ぎなさい。あなたが 立 っているその 場所 は 聖 なる 地 だからである」。
足 からくつを 脱 ぎなさい。あなたが 立 っているその 場所 は 聖 なる 地 だからである」.
(私個人の考え:同じ命令が、ほとんど同じ言葉で、何百年も離れた二人の異なる人物に与えられていることに注目してほしい。柴のところでは、その命令は聖書本文が主また神と呼ぶ声から来る。エリコの外では、その命令は手に剣を持って立っている一人の人物から来る。エリコの外にいるこの人物は、ヨシュアがひれ伏してこの人物を礼拝するのを許している。エリコの外にいるこの人物は、ヨシュアが礼拝するのを止めない。それを、実際に造られた御使いが、人が御使いを礼拝しようとしたときにすることと比べてみてほしい。御使いは言う、「わたしはあなたの同労の僕である」(黙示録19章10節)。御使いは言う、「神を拝め」(黙示録22章9節)。ヨハネは二度、御使いを礼拝しようとした。御使いは二度、ヨハネの礼拝を拒んだ。エリコの外にいたヨシュアの礼拝を拒んだ者は誰もいなかった。)
10. B7. さて新約聖書は非常に明白なことを述べている
ヨハネによる福音書 1:18 シェア↗ 神 を 見 た 者 はまだひとりもいない。ただ 父 のふところにいるひとり 子 なる 神 だけが、 神 をあらわしたのである。 原語キー / Strong’s: ⚑ G3439 monogenes · ⚑ G1834 exegeomai
いまだかつて神を見た者はいない --> ひとり子なる神が、神を明らかにされた。
ヨハネによる福音書 5:37 シェア↗ また、わたしをつかわされた 父 も、ご 自分 でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ 声 を 聞 いたこともなく、そのみ 姿 を 見 たこともない。
まだそのみ 声 を 聞 いたこともなく、そのみ 姿 を 見 たこともない.
テモテへの第一の手紙 6:16 シェア↗ 神 はただひとり 不 死 を 保 ち、 近 づきがたい 光 の 中 に 住 み、 人間 の 中 でだれも 見 た 者 がなく、 見 ることもできないかたである。ほまれと 永遠 の 支配 とが、 神 にあるように、アァメン。
人の近づき得ない光の中に住み --> だれも彼を見たことがなく、また見ることもできない。
さて聖書の二つの部分を並べて置き、その二つを共に読んでみましょう。
旧約聖書は繰り返し繰り返し語っている。人々がこの方を見、この方と語り、この方の前で食事をし、この方と格闘し、それでもなお生きていたと。
新約聖書は、はっきりと、そして三度にわたって、誰も父なる神を見た者はなく、誰も父なる神を見ることはできないと述べている。
両方の言明はどちらも真実である。旧約聖書で人々が見た人物と、人々が見ることのできなかった父とは、それゆえ同一人物ではない。ヨハネは、見られた人物が誰であるかを述べている。ヨハネは、見られた人物は独り子であり、父のふところにいます御子であると言う。ヨハネは、独り子が神なる父を、神なる父を見ることができる所へと導き出したと言う。
[諸節を組み合わせたものであり、単一の節がこれを単独で述べているわけではない]
(私個人の考え:ここは注意深く、正直でいなければならない。ここはまさに、人がこっそり聖書に付け加えを始めてしまう地点だからだ。直接述べられていることは何か。旧約聖書の本文自体が、この遣わされた者を主また神と呼んでおり、この遣わされた者に出会った人々も同じことを言っている。これは結論ではない。文がそのまま語っていることである。複数の節を結び合わせて到達することは何か。この特定の、目に見える人物が、具体的に御子であるということだ。「創世記16章の主の使いはイエスである」と直接述べている節は一つもない。この結論は、ヨハネ1:18、ヨハネ5:37、テモテへの第一の手紙6:16を旧約聖書の記述と並べて、誰が見られていたのかを問うことによって到達されるものである。だからこそ、そこにタグがあり、そのタグはそのまま残る。)
11. B8. そして主なる使者は旧約聖書のまさに最後において再び現れる
マラキ書 3:1 シェア↗ 「 見 よ、わたしはわが 使者 をつかわす。 彼 はわたしの 前 に 道 を 備 える。またあなたがたが 求 める 所 の 主 は、たちまちその 宮 に 来 る。 見 よ、あなたがたの 喜 ぶ 契約 の 使者 が 来 ると、 万軍 の 主 が 言 われる。 原語キー / Strong’s: ⚑ H4397 malak
見よ、わたしはわたしの使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。主は突然その宮に来られる。契約の使者である。
12. 別の視点、同じ場面 — 約束された使者と、その使者が誰であるかが示される
マルコによる福音書 1:2 シェア↗ 預言者 イザヤの 書 に、 「 見 よ、わたしは 使 をあなたの 先 につかわし、 あなたの 道 を 整 えさせるであろう。 (3) 荒野 で 呼 ばわる 者 の 声 がする、 『 主 の 道 を 備 えよ、 その 道 筋 をまっすぐにせよ』」 と 書 いてあるように、 (4) バプテスマのヨハネが 荒野 に 現 れて、 罪 のゆるしを 得 させる 悔改 めのバプテスマを 宣 べ 伝 えていた。
「 見 よ、わたしは 使 をあなたの 先 につかわし --> 『 主 の 道 を 備 えよ.
(私の個人的な考え:マラキ書3章1節は一つの節の中で二人の遣わされた者を示している。一人の遣わされた者は道を整えるために先に行く。もう一人の遣わされた者は「主」および「契約の使者」と呼ばれている。この第二の遣わされた者こそ、主ご自身の宮に来られる方である。マルコはマルコの福音書の冒頭で、まさにこのマラキ書3章1節の言葉を引用している。マルコは道を整える者を、荒野にいるヨハネと名づけている。これによって、その時点では第二の遣わされた者はマルコによって名前を示されないままとなる。旧約聖書は、主である使者を待ち望みながら閉じられる。新約聖書は、まさにその使者が歩み入るところから始まる。)
13. 一人子に負わされた薪 — 山の上のアブラハムとイサク
1. 創世記 22:2 シェア↗ 神 は 言 われた、「あなたの 子 、あなたの 愛 するひとり 子 イサクを 連 れてモリヤの 地 に 行 き、わたしが 示 す 山 で 彼 を 燔祭 としてささげなさい」。 原語キー / Strong’s: ⚑ H3173 yachiyd
汝の子、汝の愛する独子イサクを取りて --> 彼處にて燔祭としてこれを献げよ。
2. 創世記 22:6 シェア↗ アブラハムは 燔祭 のたきぎを 取 って、その 子 イサクに 負 わせ、 手 に 火 と 刃物 とを 執 って、ふたり 一緒 に 行 った。 原語キー / Strong’s: ⚑ H6086 ets
アブラハムは 燔祭 のたきぎを 取 って、その 子 イサクに 負 わせ --> ふたり 一緒 に 行 った.
(私自身の考察:創世記22章6節では、父が木を運ぶのではない。イサクが山を登りながら木を運ぶ。アブラハムはその木の上にイサクを載せることになる。その木を表すヘブライ語はエツ(H6086)である。エツは生きている木を表す通常の言葉である。エツは切り出された材木を表す通常の言葉でもある。エツは命の木に使われているのと同じ言葉である。エツは園の中央にある木に使われているのと同じ言葉である。)
3. 創世記 22:7 シェア↗ やがてイサクは 父 アブラハムに 言 った、「 父 よ」。 彼 は 答 えた、「 子 よ、わたしはここにいます」。イサクは 言 った、「 火 とたきぎとはありますが、 燔祭 の 小羊 はどこにありますか」。 (8) アブラハムは 言 った、「 子 よ、 神 みずから 燔祭 の 小羊 を 備 えてくださるであろう」。こうしてふたりは 一緒 に 行 った。
燔祭の子羊はどこにいるのですか --> 神ご自身が子羊を備えてくださる。
4. 創世記 22:13 シェア↗ この 時 アブラハムが 目 をあげて 見 ると、うしろに、 角 をやぶに 掛 けている一 頭 の 雄羊 がいた。アブラハムは 行 ってその 雄羊 を 捕 え、それをその 子 のかわりに 燔祭 としてささげた。
角を藪にひっかけた一匹の雄羊 --> それを子の代わりに燔祭としてささげた。
創世記 22:14 シェア↗ それでアブラハムはその 所 の 名 をアドナイ・エレと 呼 んだ。これにより、 人々 は 今日 もなお「 主 の 山 に 備 えあり」と 言 う。
人々 は 今日 もなお「 主 の 山 に 備 えあり」と 言 う.
(私の個人的な考察:創世記22章7節の息子の問いをもう一度考えてみよう。「羊はどこにありますか」。アブラハムはその問いに答える。アブラハムの答えは、彼自身が知っていた以上に遠くまで及んでいる。アブラハムは「神が全焼のいけにえのために、自ら羊を備えてくださる」と言う。この言葉には二つの意味があり得る。一つの意味は、神が自分のために羊を用意するということである。もう一つの意味は、神御自身がその羊となって備えられるということである。その日、神が実際に備えられたのは「羊」ではなく「雄羊」であった。雄羊とは成長した雄の羊である。この雄羊は角を捕らえられ、息子の代わりに死んだ。イサクの問いは、ある意味では山の上で答えられている。しかし別の意味では、イサクの問いはなお開かれたままである。羊はまだ負債として残っている。アブラハムはその場所に、未来の約束の言葉をもって名をつけた。「主の山に、それは見られるであろう。」)
14. 異なる視点、同じ場面 — 薪を運んだ息子と、十字架を担われた御子
創世記 22:6 シェア↗ アブラハムは 燔祭 のたきぎを 取 って、その 子 イサクに 負 わせ、 手 に 火 と 刃物 とを 執 って、ふたり 一緒 に 行 った。
アブラハムはたきぎを子イサクの上に負わせた --> ふたりは一緒に歩んで行った。
ヨハネによる福音書 19:17 シェア↗ イエスはみずから 十字架 を 背負 って、されこうべ(ヘブル 語 ではゴルゴダ)という 場所 に 出 て 行 かれた。
イエスはみずから 十字架 を 背負 って.
ヨハネによる福音書 19:18 シェア↗ 彼 らはそこで、イエスを 十字架 につけた。イエスをまん 中 にして、ほかのふたりの 者 を 両側 に、イエスと 一緒 に 十字架 につけた。
そこで彼らは彼を十字架につけた + イエスは中央に。
(私自身の考え:一人の父、父が愛する一人息子、一つの丘、息子自身の背に負わされた木、そしてその木を負って丘を上って行く息子。この場面は聖書の中で二度起こりました。最初は創世記22章で、神が刃を止められました。神は息子の代わりに一頭の雄羊を置かれました。二度目は十字架の上で、誰もその死を止めませんでした。この時は、御子ご自身が代わりの供え物となられました。二つの場面の間にもう一つの違いがあることに注目してください。イサクは「羊はどこにいるのですか」と尋ねました。その日、イサクの問いに対する答えはありませんでした。答えはその後、ヨルダン川のほとりで、ヨハネから与えられました。ヨハネは自分の方に歩いて来る一人の人を指し示したのです。)
1. ヨハネによる福音書 1:29 シェア↗ その 翌日 、ヨハネはイエスが 自分 の 方 にこられるのを 見 て 言 った、「 見 よ、 世 の 罪 を 取 り 除 く 神 の 小羊 。
「 見 よ、 世 の 罪 を 取 り 除 く 神 の 小羊.
2. 創世記 22:2 シェア↗ 神 は 言 われた、「あなたの 子 、あなたの 愛 するひとり 子 イサクを 連 れてモリヤの 地 に 行 き、わたしが 示 す 山 で 彼 を 燔祭 としてささげなさい」。
ヨハネによる福音書 3:16 シェア↗ 神 はそのひとり 子 を 賜 わったほどに、この 世 を 愛 して 下 さった。それは 御子 を 信 じる 者 がひとりも 滅 びないで、 永遠 の 命 を 得 るためである。 原語キー / Strong’s: ⚑ G3439 monogenes
あなたの独り子、あなたの愛する者 --> 神はその独り子を賜わった。
3. ヘブル人への手紙 11:17 シェア↗ 信仰 によって、アブラハムは、 試錬 を 受 けたとき、イサクをささげた。すなわち、 約束 を 受 けていた 彼 が、そのひとり 子 をささげたのである。 (18) この 子 については、「イサクから 出 る 者 が、あなたの 子孫 と 呼 ばれるであろう」と 言 われていたのであった。 (19) 彼 は、 神 が 死人 の 中 から 人 をよみがえらせる 力 がある、と 信 じていたのである。だから 彼 は、いわば、イサクを 生 きかえして 渡 されたわけである。
彼はそのひとり子を献げた --> 神が死者の中からでも彼を起こすことができると考えていたからである。
(私の個人的な考え:ヘブル人への手紙の著者は、イサクについて、ヨハネがイエスについて用いたのと同じギリシャ語を使っています。その語は「ひとり子」、モノゲネース(G3439)です。ヘブル人への手紙の著者は、山を登る途中でアブラハムが何を考えていたかを私たちに教えてくれます。アブラハムは、神がその子を死人の中からよみがえらせることができると考えていました。アブラハムは山のふもとにいた若者たちに「私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、また戻ってくる」と言いました。アブラハムはイサクと共に山を下りて戻ることを期待していたのです。ヘブル人への手紙の著者は、アブラハムはイサクを「たとえの中で」取り戻したと言っています。ここでの「たとえ」とは、絵や象徴を意味します。命令から三日後、死んだも同然だった息子が生きて戻ってきたのです。)
15. 場所についての注記 — 補足的な注記であり、聖句が明確に主張していることではない
歴代志下 3:1 シェア↗ ソロモンはエルサレムのモリアの 山 に 主 の 宮 を 建 てることを 始 めた。そこは 父 ダビデに 主 が 現 れられた 所 、すなわちエブスびとオルナンの 打 ち 場 にダビデが 備 えた 所 である。
ソロモンはエルサレムのモリアの 山 に 主 の 宮 を 建 てることを 始 めた.
[諸節を組み合わせたものであり、単一の節がこれを単独で述べているわけではない]
(私自身の考え:創世記22章2節は、神がアブラハムを遣わした場所をモリヤの地と名づけている。歴代志下3章1節は、ソロモンが神殿を建てた場所をエルサレムにあるモリヤ山と名づけている。したがって、イサクが献げられかけた山と、後のすべての神殿での犠牲が献げられた山とは、同じ名を共有している。エルサレムはまた、兵士たちが城壁の外でイエスを十字架につけた同じ都でもある。ただ、聖句が述べていることだけを述べよ。聖句は、ゴルゴタがモリヤと同じ岩であったとは述べていない。聖句が述べているのは、同じ名前、同じ丘の連なり、同じ都であるということだけである。アブラハム自身の言葉は「主の山に、備えあり」であった。アブラハムはこの言葉を未来形で語った。)
閉会
ヨハネによる福音書 8:56 シェア↗ あなたがたの 父 アブラハムは、わたしのこの 日 を 見 ようとして 楽 しんでいた。そしてそれを 見 て 喜 んだ」。 (57) そこでユダヤ 人 たちはイエスに 言 った、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを 見 たのか」。 (58) イエスは 彼 らに 言 われた、「よくよくあなたがたに 言 っておく。アブラハムの 生 れる 前 からわたしは、いるのである」。 (59) そこで 彼 らは 石 をとって、イエスに 投 げつけようとした。しかし、イエスは 身 を 隠 して、 宮 から 出 て 行 かれた。
アブラハムが生まれる前から、わたしはある。→ そこで彼らは石をとって、彼に投げつけようとした。
(私の個人的な考察:この二つの場面を並べて、その違いに教えを学ばせよう。柴の前では、火の中から出る声が「私はある」と言う。モーセは柴の前で顔を隠す。神殿では、群衆の前に立つ一人の人が「私はある」と言う。群衆は石を取り上げる。群衆はイエスが何を言ったのか混乱していたのではない。群衆はイエスの言葉を正確に理解していた。群衆はイエスの言葉を石打ちに値すると判断した。またイエスが「アブラハムが生まれる前、私はあった」とは言わず、「私はある」と言ったことにも注目せよ。)
練習クイズ
1. 創世記1:26 ― 神は言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造ろう:
a) 我々のかたちに似せて
b) 見よ、それは非常に良かった
c) 神のかたちに彼を創造したまえり
2. 創世記16:13 — 彼女は自分に語られた主の名を呼んで言った、
a) あなたは私を見ておられる神
b) 我顔と顔とを合せて神を見たり
c) ここに私がおります。私を遣わしてください
3. 出エジプト記3:14 — 神モーセに言ひたまひけるは:
a) 我は汝の父の神なり
b) 我は有りて在る者なり
c) 我はヱホバなり、この他に神なし
4. ヨハネ8:58 — イエスは彼らに言われた、まことに、まことに、あなたがたに告ぐ:
a) あなたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを喜んだ
b) アブラハムの生れいでぬ前より我はあるなり
c) いまだ神を見し者なし
5. 士師記13章22節 — マノアは妻に言った、我々は必ず死ぬであろう。
a) われは唇けがれたる者なればなり
b) あなたの立っている場所は聖なる地であるから
c) 私たちが神を見たから
6. ヨシュア記5章15節 — 主の軍の将はヨシュアに言った。
a) 汝の足より履物を脱げ
b) 汝は我らの爲なるか敵の爲なるか
c) 汝の女主人に帰れ
7. 創世記22章8節 — 神が、燔祭のための羊を、自ら備えてくださる。
a) それを自分の子イサクに負わせた
b) かくて二人ともに行けり
c) 火と薪を見よ
正解: 1-a, 2-a, 3-b, 4-b, 5-c, 6-a, 7-b
このスタディの分岐
影がどのように光を指し示すか──イサクの背に置かれた薪(創世記22:6)と、御子の背に置かれた十字架(ヨハネ19:17)。影は山の上に現れた。体は都の外に現れた。
--> 脇道:創世記1章26節の「われら」と「われらの」は、申命記6章4節の「唯一の主」と結び合わされ、神格についての完全な研究へと開かれていく。神格とは唯一の神であり、父、子、聖霊が聖書全体を通して異なる位格として名づけられている。この研究はその完全な研究のほんの一端に触れたにすぎない。
--> 可能な啓示:創世記32章で、ヤコブは組み打ちをした者にその者自身の名を尋ねたが、断られた(創世記32:29)。マノアは主の使いにその使い自身の名を尋ねたが、その名はピリイ(H6383)、知るにはあまりにも不思議であると告げられた(士師記13:18)。それからイザヤは、私たちに生まれる子は不思議者、ペレ(H6382)と呼ばれると言う。それは同じ語根から来ている(イザヤ書9:6)。旧約聖書で秘められていた名が、一人の幼子の上に告げられる。聖書の終わりで、天から出て来られるイエスは、なお彼自身のほかだれも知らない名を持っておられる(ヨハネの黙示録19:12)。その名は与えられており、その名はこの研究で語られてきたよりもさらに深いものである。
ギリシャ語キーワード
これはこのスタディのキーワードです。上の聖句の中の点線付きの単語をタップすると、意味がここに表示されます。
“独り子” —
G3439 monogenes —
ひとり子;唯一のもの;その種の中で唯一のもの モノゲネスは御子について用いられる。モノゲネスはヘブル人への手紙11章17節でイサクについても用いられている。
“宣言された” —
G1834 exegeomai —
導き出すこと、連れ出すこと、詳しく告げること、知らせること いまだかつて神を見た者はいない。独り子なる御子が、神を人の見える所へと導き出されたのである。
ヘブライ語キーワード
“御使い / 使者” —
H4397 malak —
遣わされた者;使者;御使い この言葉は使命を指し示すものであり、本質を指すものではありません。この言葉は人間に対して用いられます。この言葉は預言者に対して用いられます。この言葉は天的な存在に対して用いられます。この言葉だけでは、送られた者が「何であるか」を決して示しません。この言葉だけでは、ある人が送られたということしか示しません。残りのことは、周囲の聖書本文が語らなければなりません。これらの記述において、周囲の聖書本文は実際に残りのことを語っています。
“神” —
H430 elohim —
神;神々;まことの神 エロヒームは複数形である。エロヒームは唯一まことの神を指して、単数の動詞とともに繰り返し用いられる。この語自体が、本研究が探っている充満性を担っている。
“一” —
H259 echad —
一つ;結び合わされた;第一 エハド(Echad)は、「主は我らの神、主は一つなり」における言葉である。エハドは、夕べと朝が合わせて「一つ」の日と呼ばれるときに用いられるのと同じ言葉である。エハドは、男とその妻が「一つ」の肉となるときに用いられるのと同じ言葉である。
“一人息子” —
H3173 yachiyd —
ひとり子;唯一の者;孤独な者;愛する者 創世記22章は、イサクを「汝の独子」と三度も呼んでいる。ヤヒドとは、ただ一人だけの者という意味である。
“木” —
H6086 ets —
木;材木;用材;板;棒 エツはヘブル語で、生きている木と切られた木材の両方を表す一つの言葉である。エツは、アブラハムがイサクに背負わせた薪を表す言葉でもある。
“秘密 / 不思議” —
H6383 piliy —
くすしき;測り知り難きほどにくすしき ピリイはマノアに主の使いが自分の名を表すために与えた言葉である。ピリイはイザヤ書9章6節の「ペレ」と同じ語根から来ている。
“君主” —
H8269 sar —
長;首領;隊長;君;支配者 エリコの外で抜き身の剣を持つ人が名乗った称号は「サル」である。
“わたしはある” —
H1961 hayah —
ある;存在する;なる ハヤー(Hayah)は、燃える柴における「わたしはある、というものである」の根底にある語根である。
誰もが問うべき最も大切な問い――「私は救われるために何をすべきか」。
答えを読む → SOURCES & CREDITS
Scripture: Kougo (Colloquial) (Public Domain (1955 口語訳聖書 — Japan Bible Society's own copyright page confirms the copyright protection period has ended; see registry/JAPANESE_LEGAL_PATH.md. Moral/integrity rights are preserved under Japanese law, so the text is rendered verbatim only, never altered -- pipeline.VERBATIM_LANGS.)) — a redistributable edition, looked up exactly and never machine-translated.
Alternate chapter/verse numbering reconciled with STEPBible TVTMS (CC BY 4.0).
Strong's numbering & original-language data: OpenScriptures Hebrew Bible (CC BY 4.0); STEPBible.org — TAHOT/TAGNT/TBESH/TBESG (CC BY 4.0); Robinson-Pierpont Byzantine Majority Text (Public Domain); Strong's dictionary, 1890 (Public Domain).
Typography: Google Noto fonts (SIL Open Font License 1.1).
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