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復活の主 — ストロング番号付きKJV聖書study

十字架、証拠、そして再臨 — なぜその死はそうでなければならなかったのか、そして次に何が来るのか

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復活の主 — ストロング番号付きKJV聖書study

十字架、証拠、そして再臨 — なぜその死はそうでなければならなかったのか、そして次に何が来るのか
聖書の基礎教理 — イエス・キリストの福音

開会の言葉

なぜイエスは死なねばならなかったのか。空の墓は何を証明したのか。彼が再び来られるとき、何が起こるのか。この学びはこの三つの問いを聖書に持ち込み、聖書自身の言葉によって聖書にそれらに答えさせる。
この学びは、なぜ血が流されなければならなかったかを取り上げる。この学びは、彼がどれほど低く下られたか、そして十字架が彼に何を要したかを取り上げる。この学びは、父が子を神と主と呼ばれたことを取り上げる。この学びは、主がダビデの主に語られたことを取り上げる。この学びは、死からよみがえられたキリスト、そして彼が救われた人々の中に生きておられるキリストを取り上げる。この学びは、彼の再臨と、永遠に続く選択を取り上げる。

本研究が答える三つの問い:

1. イエスの死はなぜ血によるものでなければならず、もっと簡単な方法ではいけなかったのですか。
2. ダビデは詩篇110篇1節で、どうして自分の子を自分の主と呼ぶことができたのですか。
3. 復活は何を証明し、イエスが再び来られるとき何が起こりますか。

OPENING ANCHOR(冒頭のアンカー)

テモテへの第一の手紙 2:5シェア↗ 神 は 唯一 であり、 神 と 人 との 間 の 仲保者 もただひとりであって、それは 人 なるキリスト・イエスである。 (6) 彼 は、すべての 人 のあがないとしてご 自身 をささげられたが、それは、 定 められた 時 になされたあかしにほかならない。
唯一の神+神と人との間の唯一の仲保者、人なるキリスト・イエス。
(私個人の考え:仲介者(引き離された二つの当事者の間に立ち、両者を和解させる者)は、両方の当事者に完全に属していなければならない。そうでなければ仲介者として働くことはできない。テモテ前書2章5節が仲介者について何と言っているかを見てほしい。「人なるキリスト・イエス」である。イエス・キリストは人でなければならない。そうでなければ人間が立つ場所に立ち、人間としての死を死ぬことができない。コリント人への第二の手紙5章19節がその死の内側にあった真実として何と言っているかを見てほしい。「神はキリストにあって」とある。イエス・キリストは神でなければならない。そうでなければ彼の死は単にもう一人の人間が死ぬというだけのことであり、誰に対しても救い(罪とその罰からの救出)をもたらさない。だからこそ「イエスとは誰か」という問いへの答えは、学者だけのための些細な問題ではない。救いの教理全体が、その問いへの答えにかかっているのである。)

1. H. なぜその死はそうでなければならなかったのか — 神への架け橋

2. H1. 問題を明確に述べる

イザヤ書 59:2シェア↗ ただ、あなたがたの 不義 が あなたがたと、あなたがたの 神 との 間 を 隔 てたのだ。 またあなたがたの 罪 が 主 の 顔 をおおったために、お 聞 きにならないのだ。
ただ、あなたがたの 不義 が あなたがたと、あなたがたの 神 との 間 を 隔 てたのだ.
ローマ人への手紙 3:23シェア↗ すなわち、すべての 人 は 罪 を 犯 したため、 神 の 栄光 を 受 けられなくなっており、
すなわち、すべての 人 は 罪 を 犯 したため、 神 の 栄光 を 受 けられなくなっており.

3. H2. なぜ血なのか、もっと簡単な方法ではなかったのか

ヘブル人への手紙 9:22シェア↗ こうして、ほとんどすべての 物 が、 律法 に 従 い、 血 によってきよめられたのである。 血 を 流 すことなしには、 罪 のゆるしはあり 得 ない。
原語キー / Strong’s: ⚑ G859 aphesis
血 を 流 すことなしには、 罪 のゆるしはあり 得 ない.
レビ記 17:11シェア↗ 肉 の 命 は 血 にあるからである。あなたがたの 魂 のために 祭壇 の 上 で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに 与 えた。 血 は 命 であるゆえに、あがなうことができるからである。
肉 の 命 は 血 にあるからである --> 血 は 命 であるゆえに、あがなうことができるからである.
ヘブル人への手紙 10:4シェア↗ なぜなら、 雄 牛 ややぎなどの 血 は、 罪 を 除 き 去 ることができないからである。
なぜなら、 雄 牛 ややぎなどの 血 は、 罪 を 除 き 去 ることができないからである.
(私自身の思い:この三つの聖句を並べてみると、古代の犠牲の制度全体が自ずと説明される。命は血の中にある。罪は命の代価を要する。古代において、動物の犠牲は贖い(罪を一時的に覆い、神の前でのその人の立場を回復するもの)を、来る日も来る日も、何百年もの間もたらしていた。ヘブル人への手紙は、動物の犠牲が罪を決して取り除くことができなかったことをはっきりと述べている。それでは、あの動物の犠牲はいったい何のためだったのか。動物の犠牲は、罪の負債が目に見える形で未払いのまま保たれるようにしていた。動物の犠牲は、命が支払われるべきであることを繰り返し、日々思い起こさせる長い教えであった。動物の犠牲は、罪の負債を完全に支払うことのできるただ一つの死が来るまで、その思い起こしを保ち続けていた。)

4. H3. 彼はどこまで低く下られたか

ピリピ人への手紙 2:5シェア↗ キリスト・イエスにあっていだいているのと 同 じ 思 いを、あなたがたの 間 でも 互 に 生 かしなさい。 (6) キリストは、 神 のかたちであられたが、 神 と 等 しくあることを 固守 すべき 事 とは 思 わず、 (7) かえって、おのれをむなしうして 僕 のかたちをとり、 人間 の 姿 になられた。その 有様 は 人 と 異 ならず、 (8) おのれを 低 くして、 死 に 至 るまで、しかも 十字架 の 死 に 至 るまで 従順 であられた。
神 のかたちであられたが --> おのれをむなしうして 僕 のかたちをとり --> しかも 十字架 の 死 に 至 るまで 従順 であられた.
(私個人の考え:ピリピ人への手紙2章6-8節にある下降の順序に注目してほしい。イエスは神の形であられた。イエスは名声を空しくされた。イエスはしもべの形をとられた。イエスは人間の姿をとられた。イエスはへりくだられた。イエスは従順になられた。イエスは死なれた。パウロはさらに、文としては厳密には必要のなかった二つの言葉を付け加えた。「しかも十字架の死にまで」。イエスが死なれたと単に述べるだけでは、パウロにとって十分ではなかった。イエスの死の具体的な様態こそが、パウロの論点の一部なのである。)

5. H4. 実際に彼が払った代価 — 前もって語られ、そして後にまた語られた

イザヤ書 50:6シェア↗ わたしを 打 つ 者 に、わたしの 背 をまかせ、 わたしのひげを 抜 く 者 に、わたしのほおをまかせ、 恥 とつばきとを 避 けるために、 顔 をかくさなかった。
わたしを 打 つ 者 に、わたしの 背 をまかせ --> 恥 とつばきとを 避 けるために、 顔 をかくさなかった.
詩篇 22:16シェア↗ まことに、 犬 はわたしをめぐり、 悪 を 行 う 者 の 群 れがわたしを 囲 んで、 わたしの 手 と 足 を 刺 し 貫 いた。 (17) わたしは 自分 の 骨 をことごとく 数 えることができる。 彼 らは 目 をとめて、わたしを 見 る。 (18) 彼 らは 互 にわたしの 衣服 を 分 け、 わたしの 着物 をくじ 引 にする。
彼らはわが手とわが足とを刺し貫けり。彼らはわが衣を分かち、わが衣服のことにて籤を引けり。
マタイによる福音書 27:35シェア↗ 彼 らはイエスを 十字架 につけてから、くじを 引 いて、その 着物 を 分 け、
彼らは彼を十字架につけ、籤を引きてその衣を分けたり --> これは成就せんためなり。
ヨハネによる福音書 19:34シェア↗ しかし、ひとりの 兵卒 がやりでそのわきを 突 きさすと、すぐ 血 と 水 とが 流 れ 出 た。
槍が彼のわき腹を刺した ⇒ すると、ただちに血と水が出て来た。
(私自身の考察:ダビデは詩篇22篇で、刺し貫かれた手と足について書いた。ダビデは詩篇22篇で、兵士たちが衣服を分け合うことについて書いた。ダビデがこれを書いたのは、イスラエルの誰かが十字架刑を目にする千年も前のことだった。ダビデは自分自身に起こった出来事を描写していたのではない。マタイはそれから何世紀も後、イエスの十字架刑が起こった後に書いた。マタイは、兵士たちが詩篇22篇に描かれた通りのことをしたと記している。マタイは兵士たちがそうした理由を述べている、「これは成就するためであった」と。この二つの記述を合わせて読んでほしい。ダビデは時を先取りして自分の記述を書いたのであり、十字架刑が起こることを知る術は全くなかった。マタイは十字架刑を振り返って自分の記述を書いたのであり、十字架刑が起こったことを否定する術は全くなかった。)

6. H5. その死は何のためであったか — 悲劇ではなく、橋である

ローマ人への手紙 5:8シェア↗ しかし、まだ 罪人 であった 時 、わたしたちのためにキリストが 死 んで 下 さったことによって、 神 はわたしたちに 対 する 愛 を 示 されたのである。 (9) わたしたちは、キリストの 血 によって 今 は 義 とされているのだから、なおさら、 彼 によって 神 の 怒 りから 救 われるであろう。 (10) もし、わたしたちが 敵 であった 時 でさえ、 御子 の 死 によって 神 との 和解 を 受 けたとすれば、 和解 を 受 けている 今 は、なおさら、 彼 のいのちによって 救 われるであろう。
原語キー / Strong’s: ⚑ G2644 katallasso
我らなお罪人たりし時、キリストは我らのために死に給えり。我らはその子の死によりて神と和らげり。
コリント人への第二の手紙 5:18シェア↗ しかし、すべてこれらの 事 は、 神 から 出 ている。 神 はキリストによって、わたしたちをご 自分 に 和解 させ、かつ 和解 の 務 をわたしたちに 授 けて 下 さった。 (19) すなわち、 神 はキリストにおいて 世 をご 自分 に 和解 させ、その 罪過 の 責任 をこれに 負 わせることをしないで、わたしたちに 和解 の 福音 をゆだねられたのである。 (20) 神 がわたしたちをとおして 勧 めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの 使者 なのである。そこで、キリストに 代 って 願 う、 神 の 和解 を 受 けなさい。 (21) 神 はわたしたちの 罪 のために、 罪 を 知 らないかたを 罪 とされた。それは、わたしたちが、 彼 にあって 神 の 義 となるためなのである。
原語キー / Strong’s: ⚑ G2643 katallage
神はキリストにあって世をご自分に和解させられた --> 罪を知らなかった彼を、私たちのために罪とされた。

7. H6. 竿の上の蛇 — 彼がご自身に当てはめた古い型

民数記 21:8シェア↗ そこで 主 はモーセに 言 われた、「 火 のへびを 造 って、それをさおの 上 に 掛 けなさい。すべてのかまれた 者 が 仰 いで、それを 見 るならば 生 きるであろう」。 (9) モーセは 青銅 で一つのへびを 造 り、それをさおの 上 に 掛 けて 置 いた。すべてへびにかまれた 者 はその 青銅 のへびを 仰 いで 見 て 生 きた。
すべてかまれた者は、それを仰ぎ見るならば生きるであろう。

8. 異なる視点、同じ場面 — 荒野の竿と、丘の上の十字架

ヨハネによる福音書 3:14シェア↗ そして、ちょうどモーセが 荒野 でへびを 上 げたように、 人 の 子 もまた 上 げられなければならない。 (15) それは 彼 を 信 じる 者 が、すべて 永遠 の 命 を 得 るためである」。 (16) 神 はそのひとり 子 を 賜 わったほどに、この 世 を 愛 して 下 さった。それは 御子 を 信 じる 者 がひとりも 滅 びないで、 永遠 の 命 を 得 るためである。 (17) 神 が 御子 を 世 につかわされたのは、 世 をさばくためではなく、 御子 によって、この 世 が 救 われるためである。
モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が滅びることのないためである。
(私自身の考え:民数記21章とヨハネによる福音書3章のこのつながりは、この study が考え出したものではありません。イエスご自身が、ご自分のアイデンティティについて、この結びつきを直接、はっきりと語られました。荒野で死にゆく人々は、自分自身を正すようにとは言われませんでした。荒野で死にゆく人々は、勇敢であるようにとは言われませんでした。荒野で死にゆく人々は、治療を勝ち取るようにとは言われませんでした。荒野で死にゆく人々は、神が竿の上に掲げられたものを見上げよと言われました。荒野で死にゆき、それを見上げた者は生きました。さて、この二つの場面を合わせて心に留め、奇妙な点に気づいてください。竿の上に掲げられた青銅の蛇は、それを見た人々を死なせつつあったまさにその物の形をしていました。パウロは十字架について、同じように奇妙な真理を語っています。パウロは、イエスは罪を知らなかったにもかかわらず、私たちのために罪とされた、と言っています(2 コリント人への第二の手紙5:21)。治療は、呪いと同じ形をして掲げられたのです。)

9. 父ご自身が御子を「神」また「主」と呼んでおられる

1. ヘブル人への手紙 1:1シェア↗ 神 は、むかしは、 預言者 たちにより、いろいろな 時 に、いろいろな 方法 で、 先祖 たちに 語 られたが、 (2) この 終 りの 時 には、 御子 によって、わたしたちに 語 られたのである。 神 は 御子 を 万物 の 相続者 と 定 め、また、 御子 によって、もろもろの 世界 を 造 られた。 (3) 御子 は 神 の 栄光 の 輝 きであり、 神 の 本質 の 真 の 姿 であって、その 力 ある 言葉 をもって 万物 を 保 っておられる。そして 罪 のきよめのわざをなし 終 えてから、いと 高 き 所 にいます 大能者 の 右 に、 座 につかれたのである。
神は御子によって私たちに語られた。また御子によって世界を造られた。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の真の姿である。
2. ヘブル人への手紙 1:5シェア↗ いったい、 神 は 御使 たちのだれに 対 して、 「あなたこそは、わたしの 子 。 きょう、わたしはあなたを 生 んだ」 と 言 い、さらにまた、 「わたしは 彼 の 父 となり、 彼 はわたしの 子 となるであろう」 と 言 われたことがあるか。 (6) さらにまた、 神 は、その 長子 を 世界 に 導 き 入 れるに 当 って、 「 神 の 御使 たちはことごとく、 彼 を 拝 すべきである」 と 言 われた。
原語キー / Strong’s: ⚑ G4416 prototokos
いったい、 神 は 御使 たちのだれに 対 して、 「あなたこそは、わたしの 子 。 きょう? --> 彼 を 拝 すべきである」 と 言 われた.
(私の個人的な考え:ヘブル人への手紙の第一章全体は、一つの長い論証を展開している。その論証とは、御子は天使ではなく、これまでも決して天使ではなかったということである。この点は、「主の使い」と呼ばれる人物について多くのページを割いて学んできたばかりの研究において、注目に値する。ヘブル語のマラクという言葉は、使いの務めを意味する。神ご自身の御子は、旧約聖書のある時点でその務めを果たされた。しかし、ヘブル人への手紙の著者は、誰にも御子を被造物である天使の中に分類させようとはしない。天使たちは御子を礼拝するようにと命じられている。)
3. ヘブル人への手紙 1:8シェア↗ 御子 については、 「 神 よ、あなたの 御座 は、 世々 限 りなく 続 き、 あなたの 支配 のつえは、 公平 のつえである。 (9) あなたは 義 を 愛 し、 不法 を 憎 まれた。 それゆえに、 神 、あなたの 神 は、 喜 びのあぶらを、 あなたの 友 に 注 ぐよりも 多 く、あなたに 注 がれた」 と 言 い、 (10) さらに、 「 主 よ、あなたは 初 めに、 地 の 基 をおすえになった。 もろもろの 天 も、み 手 のわざである。 (11) これらのものは 滅 びてしまうが、 あなたは、いつまでもいますかたである。 すべてのものは 衣 のように 古 び、 (12) それらをあなたは、 外套 のように 巻 かれる。 これらのものは、 衣 のように 変 るが、 あなたは、いつも 変 ることがなく、 あなたのよわいは、 尽 きることがない」 とも 言 われている。
しかし御子については、「神よ、あなたの御座は世々限りなく続く」と言われる。また、「主よ、あなたは初めに地の基を据えられた」と言われる。
(私の個人的な考え:ヘブル1:8の最初の五つの言葉をもう一度読んでみよう。「されど御子については」。この文は、ヘブル書の著者がイエスについて述べた意見ではない。この文は、父なる神が御子に直接語りかけたことを記録している。父なる神は御子を「神よ」と呼ぶ。父なる神はさらに御子を「主」と呼ぶ。父なる神はその上、地と天を造ったことを御子に帰している。もし誰かが、御子は聖書の中で決して神と呼ばれていないと主張したいのであれば、その人は、父が御子を神と呼んでいるこの節に向き合わなければならない。)

10. 異なる視点、同じ場面 — 王のために書かれた歌と、父がその御子に引用された言葉

詩篇 45:6シェア↗ 神 から 賜 わったあなたの 位 は 永遠 にかぎりなく 続 き、 あなたの 王 のつえは 公平 のつえである。 (7) あなたは 義 を 愛 し、 悪 を 憎 む。 このゆえに 神 、あなたの 神 は 喜 びの 油 を あなたのともがらにまさって、あなたに 注 がれた。
神 から 賜 わったあなたの 位 は 永遠 にかぎりなく 続 き --> あなたの 神 は 喜 びの 油 を あなたのともがらにまさって、あなたに 注 がれた.
詩篇 102:25シェア↗ あなたはいにしえ、 地 の 基 をすえられました。 天 もまたあなたのみ 手 のわざです。 (26) これらは 滅 びるでしょう。 しかしあなたは 長 らえられます。 これらはみな 衣 のように 古 びるでしょう。 あなたがこれらを 上着 のように 替 えられると、 これらは 過 ぎ 去 ります。 (27) しかしあなたは 変 ることなく、 あなたのよわいは 終 ることがありません。
あなたはいにしえ、 地 の 基 をすえられました --> しかしあなたは 変 ることなく、 あなたのよわいは 終 ることがありません.
(私の個人的な考え:ここは、二つの箇所を並べて読むことが本当に意味を持つ箇所です。詩篇45篇は婚礼の歌です。詩篇102篇は苦難の中にある人の祈りです。詩篇102篇では、その言葉は世界を造られたイスラエルの神、主に向けて語られています。どちらの詩篇もベツレヘムでのイエスの誕生の何世紀も前に書かれました。ヘブル人への手紙1章は両方の詩篇を引用しています。ヘブル人への手紙1章は両方の詩篇を父なる神の言葉として提示しています。ヘブル人への手紙1章は両方の詩篇を御子に当てはめています。元の詩篇とヘブル人への手紙1章の引用との間にある言葉遣いの小さな違いに注目してください。聖書はこれらの小さな違いを隠していませんし、この study もそれらを隠しません。詩篇とヘブル人への手紙1章との間で変わらないのは、その言葉が誰について語られているかということです。)

11. J. 主はわが主に言われた — 論争を終わらせた聖句

1. 詩篇 110:1シェア↗ 主 はわが 主 に 言 われる、 「わたしがあなたのもろもろの 敵 を あなたの 足 台 とするまで、わたしの 右 に 座 せよ」と。 (2) 主 はあなたの 力 あるつえをシオンから 出 される。 あなたはもろもろの 敵 のなかで 治 めよ。
原語キー / Strong’s: ⚑ H3068 Yehovah · ⚑ H113 adown
主 はわが 主 に 言 われる、 「わたしがあなたのもろもろの 敵 を あなたの 足 台 とするまで --> わたしの 右 に 座 せよ」と.
(私自身の思い:詩篇110篇1節のこの一行は、一読しただけでは分からないほど多くの意味を含んでいます。英語では、両方の語とも「Lord」と印刷されています。その違いを示す唯一の手がかりは、大文字表記です。最初の語は大文字で、LORDと印刷されています。二番目の語は大文字では印刷されていません。この英語の下には、実は二つの異なるヘブライ語があります。最初のヘブライ語は、神の契約の名であるヤホバ(H3068)です。欽定訳(KJV)では、大文字表記は常に、その背後にあるヘブライ語がヤホバであることを意味します。二番目のヘブライ語はアドン(H113)であり、主人や支配者を意味する語です。ここで使われているアドンの形は「わが主」と読まれます。この詩篇を記したダビデは、神が、ダビデ自身が「わが主」と呼ぶある人物に語りかけておられることを記録しています。ここで率直な問いを考えてみましょう。ダビデはイスラエルの王でした。彼の主とは誰だったのでしょうか。この答えは、神がキリストを、後の世代においてダビデ自身の家系から出すと約束されたことを思い出すと、さらに奇妙に思えてきます。人は普通、自分のひ孫を「わが主」とは呼ばないものです。)

12. J2. 彼は自らそれについて彼らに尋ねられたが、誰も答えることができなかった

マタイによる福音書 22:41シェア↗ パリサイ 人 たちが 集 まっていたとき、イエスは 彼 らにお 尋 ねになった、 (42) 「あなたがたはキリストをどう 思 うか。だれの 子 なのか」。 彼 らは「ダビデの 子 です」と 答 えた。 (43) イエスは 言 われた、「それではどうして、ダビデが 御霊 に 感 じてキリストを 主 と 呼 んでいるのか。 (44) すなわち 『 主 はわが 主 に 仰 せになった、 あなたの 敵 をあなたの 足 もとに 置 くときまでは、 わたしの 右 に 座 していなさい』。 (45) このように、ダビデ 自身 がキリストを 主 と 呼 んでいるなら、キリストはどうしてダビデの 子 であろうか」。 (46) イエスにひと 言 でも 答 えうる 者 は、なかったし、その 日 からもはや、 進 んでイエスに 質問 する 者 も、いなくなった。
このように、ダビデが彼を主と呼んでいるなら、どうして彼はダビデの子であろうか --> ひと言もこたえ得る者がなかった。
(私の個人的な考察:マタイ22章41-46節で、イエスはパリサイ人たちに、御自身が発した問いの答えを告げなかった。イエスは問いを発し、その問いを未解決のまま残された。その問いは今なお答えられておらず、それでもなお、その問いにふさわしい答えはただ一つしかない。キリストは肉によればダビデの子である。キリストは、ダビデが生まれる前にすでに存在していた方として、ダビデの主である。)

13. J3. ペテロは教会が始まった日に同じ聖句を用いた

使徒行伝 2:32シェア↗ このイエスを、 神 はよみがえらせた。そして、わたしたちは 皆 その 証人 なのである。 (33) それで、イエスは 神 の 右 に 上 げられ、 父 から 約束 の 聖霊 を 受 けて、それをわたしたちに 注 がれたのである。このことは、あなたがたが 現 に 見聞 きしているとおりである。 (34) ダビデが 天 に 上 ったのではない。 彼 自身 こう 言 っている、 『 主 はわが 主 に 仰 せになった、 (35) あなたの 敵 をあなたの 足 台 にするまでは、 わたしの 右 に 座 していなさい』。 (36) だから、イスラエルの 全 家 は、この 事 をしかと 知 っておくがよい。あなたがたが 十字架 につけたこのイエスを、 神 は、 主 またキリストとしてお 立 てになったのである」。
ダビデは天に上ったのではない -->神は、あなたがたが十字架につけたこのイエスを、主またキリストとされたのである。
(私の個人的な考察:使徒行伝2章29-36節におけるペテロの論証は短い。ペテロの論証には何の巧妙さも必要ない。ダビデは、ある人が神の右に座ることについて書いた。ダビデ自身は神の右に座るために上って行ったことはない。ダビデの墓を見に行くことができる、とペテロは数節前で語っている。それゆえ、この詩篇はダビデについてのものではなかった。ペテロは続けて、この詩篇が指し示していた人物の名を挙げる。ペテロは何の和らげもなく、この人物の名を挙げる。「あなたがたが十字架につけた、あのイエスを」。ペテロはこの人物を「主またキリスト」と呼んでいる。)

14. J4. 同じ詩篇がもう一つのことを述べている — そしてヘブル人への書はそれに基づいて一つの議論全体を築いている

詩篇 110:4シェア↗ 主 は 誓 いを 立 てて、み 心 を 変 えられることはない、 「あなたはメルキゼデクの 位 にしたがって とこしえに 祭司 である」。
主 は 誓 いを 立 てて、み 心 を 変 えられることはない --> 「あなたはメルキゼデクの 位 にしたがって とこしえに 祭司 である」.
ヘブル人への手紙 5:5シェア↗ 同様 に、キリストもまた、 大祭司 の 栄誉 を 自分 で 得 たのではなく、 「あなたこそは、わたしの 子 。 きょう、わたしはあなたを 生 んだ」 と 言 われたかたから、お 受 けになったのである。 (6) また、ほかの 箇所 でこう 言 われている、 「あなたこそは、 永遠 に、 メルキゼデクに 等 しい 祭司 である」。
同様 に、キリストもまた、 大祭司 の 栄誉 を 自分 で 得 たのではなく、 「あなたこそは --> 「あなたこそは、 永遠 に、 メルキゼデクに 等 しい 祭司 である」.
ヘブル人への手紙 7:3シェア↗ 彼 には 父 がなく、 母 がなく、 系図 がなく、 生涯 の 初 めもなく、 生命 の 終 りもなく、 神 の 子 のようであって、いつまでも 祭司 なのである。
生涯 の 初 めもなく、 生命 の 終 りもなく --> いつまでも 祭司 なのである.
ヘブル人への手紙 7:24シェア↗ しかし 彼 は、 永遠 にいますかたであるので、 変 らない 祭司 の 務 を 持 ちつづけておられるのである。 (25) そこでまた、 彼 は、いつも 生 きていて 彼 らのためにとりなしておられるので、 彼 によって 神 に 来 る 人々 を、いつも 救 うことができるのである。
彼は永遠に存へ、易らざる祭司の職を保ちたまう --> 彼は己によりて神に来る者を完全に救うことを得たまう。
(私の個人的な考え:一つの短い詩篇の中に非常に多くのことが含まれている。詩篇110篇は、ダビデが自分の主と呼ぶ方について、神の右の座に着いていると述べている。詩篇110篇は、シオンから治める王について述べている。詩篇110篇は、イスラエルの祭司職よりも古い位に属する、永遠の祭司について述べており、神はこの誓いを取り消さないと誓われた。古代イスラエルにおいて、律法は王の職と祭司の職を分けて保っていた。その律法のもとでは、一人の人が両方の職を持つことは許されなかった。詩篇110篇は、両方の職を一人の人物に与えている。ヘブル人への手紙は、その人物が誰であるかを説明するために数章を割いている。)

15. K. 墓からよみがえり — そしてあなたの内に生きる

16. K1. その事実そのものと、それがどのように伝えられたか

コリント人への第一の手紙 15:3シェア↗ わたしが 最 も 大事 なこととしてあなたがたに 伝 えたのは、わたし 自身 も 受 けたことであった。すなわちキリストが、 聖書 に 書 いてあるとおり、わたしたちの 罪 のために 死 んだこと、 (4) そして 葬 られたこと、 聖書 に 書 いてあるとおり、三 日 目 によみがえったこと、
キリストは聖書に応じて我らの罪のために死に、そして葬られ、三日目によみがえり給えり。
コリント人への第一の手紙 15:20シェア↗ しかし 事実 、キリストは 眠 っている 者 の 初穂 として、 死人 の 中 からよみがえったのである。
キリストは死者の中からよみがえり、眠っている者たちの初穂となられた。

17. K2. 復活が彼について証明したこと

ローマ人への手紙 1:3シェア↗ 御子 に 関 するものである。 御子 は、 肉 によればダビデの 子孫 から 生 れ、 (4) 聖 なる 霊 によれば、 死人 からの 復活 により、 御 力 をもって 神 の 御子 と 定 められた。これがわたしたちの 主 イエス・キリストである。
肉によれば、ダビデの裔より生れ --> 死人の中よりの復活により、大能をもて神の子と定められ給えり。
(私個人の考え:パウロはローマ人への手紙1章3-4節において、再び答えの両方の半分を順序立てて一つの文の中に置いている。イエスは肉によればダビデの家系から来られた。イエスは墓から出ることによって、力をもって神の子と宣言された。どんな人でも自分は神の子であると主張することができる。しかし、死者の中からよみがえることによってその主張が証明されたのは、イエスただひとりだけである。)

18. K3. 旧約聖書が先に語った

詩篇 16:10シェア↗ あなたはわたしを 陰府 に 捨 ておかれず、 あなたの 聖者 に 墓 を 見 させられないからである。 (11) あなたはいのちの 道 をわたしに 示 される。 あなたの 前 には 満 ちあふれる 喜 びがあり、 あなたの 右 には、とこしえにもろもろの 楽 しみがある。
汝わが魂を黄泉に棄て置きたまわじ --> 汝の聖者を朽ち果てしめたまわじ。
使徒行伝 2:29シェア↗ 兄弟 たちよ、 族長 ダビデについては、わたしはあなたがたにむかって 大胆 に 言 うことができる。 彼 は 死 んで 葬 られ、 現 にその 墓 が 今日 に 至 るまで、わたしたちの 間 に 残 っている。 (30) 彼 は 預言者 であって、『その 子孫 のひとりを 王位 につかせよう』と、 神 が 堅 く 彼 に 誓 われたことを 認 めていたので、 (31) キリストの 復活 をあらかじめ 知 って、『 彼 は 黄泉 に 捨 ておかれることがなく、またその 肉体 が 朽 ち 果 てることもない』と 語 ったのである。
ダビデは死んで葬られた --> 彼はこれを見越して、キリストの復活について語った。

19. K4. そして今 — 彼は救われた人々の中に生きている

ローマ人への手紙 8:11シェア↗ もし、イエスを 死人 の 中 からよみがえらせたかたの 御霊 が、あなたがたの 内 に 宿 っているなら、キリスト・イエスを 死人 の 中 からよみがえらせたかたは、あなたがたの 内 に 宿 っている 御霊 によって、あなたがたの 死 ぬべきからだをも、 生 かしてくださるであろう。
イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊があなたがたの中に住んでおられるなら --> あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださる。
ガラテヤ人への手紙 2:20シェア↗ 生 きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに 生 きておられるのである。しかし、わたしがいま 肉 にあって 生 きているのは、わたしを 愛 し、わたしのためにご 自身 をささげられた 神 の 御子 を 信 じる 信仰 によって、 生 きているのである。
わたしはキリストと共に十字架につけられた --> もはやわたしではなく、キリストがわたしのうちに生きておられる。
コロサイ人への手紙 1:27シェア↗ 神 は 彼 らに、 異邦人 の 受 くべきこの 奥義 が、いかに 栄光 に 富 んだものであるかを、 知 らせようとされたのである。この 奥義 は、あなたがたのうちにいますキリストであり、 栄光 の 望 みである。
原語キー / Strong’s: ⚑ G3466 musterion
この奥義 = あなたの内におられるキリスト、栄光の望み。
ヨハネによる福音書 14:23シェア↗ イエスは 彼 に 答 えて 言 われた、「もしだれでもわたしを 愛 するならば、わたしの 言葉 を 守 るであろう。そして、わたしの 父 はその 人 を 愛 し、また、わたしたちはその 人 のところに 行 って、その 人 と 一緒 に 住 むであろう。
人もし我を愛せば我が言を守らん --> われらその許に来りて住処を為さん。
(私個人の考え:この研究の全体の流れを結論まで追ってみてください。イエスは万物が造られる前に父と共におられました。イエスは旧約聖書の中で人々に現れ、その人々は生き延びました。イエスは小さな町で女から生まれました。イエスは町の外、丘の上で、木にかけられて殺されました。イエスは墓から出て来られました。聖書は今、イエスが人々の内に生きておられると言っています。この結論こそ、この研究がずっと向かっていた到達点です。この研究の目的は、イエスが誰であるかについての議論に勝つことでは決してありませんでした。この研究の要点は、これらすべてである方が、あなたの内に住みたいと願っておられるということです。ヨハネ14:23にも注目してください。「わたしたちはその人のところに来て」とあります。創世記1:26で聖書の冒頭に現れた複数形の声が、ここにもなお存在しています。)

20. 彼は再び来られる — そして永遠に続く選択

21. L1. 彼は来られる、すべての目が彼を見る

使徒行伝 1:9シェア↗ こう 言 い 終 ると、イエスは 彼 らの 見 ている 前 で 天 に 上 げられ、 雲 に 迎 えられて、その 姿 が 見 えなくなった。 (10) イエスの 上 って 行 かれるとき、 彼 らが 天 を 見 つめていると、 見 よ、 白 い 衣 を 着 たふたりの 人 が、 彼 らのそばに 立 っていて (11) 言 った、「ガリラヤの 人 たちよ、なぜ 天 を 仰 いで 立 っているのか。あなたがたを 離 れて 天 に 上 げられたこのイエスは、 天 に 上 って 行 かれるのをあなたがたが 見 たのと 同 じ 有様 で、またおいでになるであろう」。
あなたがたを 離 れて 天 に 上 げられたこのイエスは、 天 に 上 って 行 かれるのをあなたがたが 見 たのと 同 じ 有様 で、またおいでになるであろう」.
ヨハネの黙示録 1:7シェア↗ 見 よ、 彼 は、 雲 に 乗 ってこられる。すべての 人 の 目 、ことに、 彼 を 刺 しとおした 者 たちは、 彼 を 仰 ぎ 見 るであろう。また 地上 の 諸 族 はみな、 彼 のゆえに 胸 を 打 って 嘆 くであろう。しかり、アァメン。
すべての目は彼を見る + 彼を刺した者たちも。
1. テサロニケ人への第二の手紙 1:7シェア↗ それは、 主 イエスが 炎 の 中 で 力 ある 天使 たちを 率 いて 天 から 現 れる 時 に 実現 する。 (8) その 時 、 主 は 神 を 認 めない 者 たちや、わたしたちの 主 イエスの 福音 に 聞 き 従 わない 者 たちに 報復 し、 (9) そして、 彼 らは 主 のみ 顔 とその 力 の 栄光 から 退 けられて、 永遠 の 滅 びに 至 る 刑罰 を 受 けるであろう。 (10) その 日 に、イエスは 下 ってこられ、 聖徒 たちの 中 であがめられ、すべて 信 じる 者 たちの 間 で 驚嘆 されるであろう――わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって 信 じられているのである。
原語キー / Strong’s: ⚑ G1557 ekdikesis
燃える火の中に、神を知らない者、また福音に従わない者に報復をなし、その日主が聖徒の中にあがめられ、栄光を受けられるとき。
(私自身の思い:テサロニケ人への第二の手紙1章8節をゆっくり読んでみる。テサロニケ人への第二の手紙1章8節は、一つの集団ではなく二つの集団を挙げている。第一の集団は神を知らない。第二の集団は福音に従わない。知ることと従うことが、同じ節の中で一緒に挙げられている。同じ文の一部であるテサロニケ人への第二の手紙1章10節にも注目してほしい。ある集団にとっては火であるイエスの同じ来臨が、別の集団にとっては栄光である。これは一つの単一の出来事である。その出来事のどちら側に人が立つかは、後にではなく、今決まるのである。)
2. ヨハネの黙示録 19:11シェア↗ またわたしが 見 ていると、 天 が 開 かれ、 見 よ、そこに 白 い 馬 がいた。それに 乗 っているかたは、「 忠実 で 真実 な 者 」と 呼 ばれ、 義 によってさばき、また、 戦 うかたである。 (12) その 目 は 燃 える 炎 であり、その 頭 には 多 くの 冠 があった。また、 彼 以外 にはだれも 知 らない 名 がその 身 にしるされていた。 (13) 彼 は 血染 めの 衣 をまとい、その 名 は「 神 の 言 」と 呼 ばれた。
之に乗りたまふ者は忠實また眞と呼ばれ --> その名は神の言と呼ばれたり。
ヨハネの黙示録 19:16シェア↗ その 着物 にも、そのももにも、「 王 の 王 、 主 の 主 」という 名 がしるされていた。
主 の 主 」という 名 がしるされていた.
(私自身の思いですが:ヨハネの黙示録19章12節にある小さな一行に注目してください。イエスには誰も知らない名が記されていましたが、その名を知るのはイエスご自身だけでした。この研究に与えられている名前は、同じ箇所に現れています。それらの名は「忠実」また「真実」、「神の言葉」、「王の王、主の主」です。)

22. L4. 書物が開かれる

ヨハネの黙示録 20:11シェア↗ また 見 ていると、 大 きな 白 い 御座 があり、そこにいますかたがあった。 天 も 地 も 御顔 の 前 から 逃 げ 去 って、あとかたもなくなった。 (12) また、 死 んでいた 者 が、 大 いなる 者 も 小 さき 者 も 共 に、 御座 の 前 に 立 っているのが 見 えた。かずかずの 書物 が 開 かれたが、もう一つの 書物 が 開 かれた。これはいのちの 書 であった。 死人 はそのしわざに 応 じ、この 書物 に 書 かれていることにしたがって、さばかれた。 (13) 海 はその 中 にいる 死人 を 出 し、 死 も 黄泉 もその 中 にいる 死人 を 出 し、そして、おのおのそのしわざに 応 じて、さばきを 受 けた。 (14) それから、 死 も 黄泉 も 火 の 池 に 投 げ 込 まれた。この 火 の 池 が 第 二の 死 である。 (15) このいのちの 書 に 名 がしるされていない 者 はみな、 火 の 池 に 投 げ 込 まれた。
もろもろの書が開かれた + もう一つの書が開かれた、それはいのちの書である --> いのちの書に名の記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
(私の個人的な考え:ヨハネの黙示録20章12節では、御座の前に二種類の書物が現れます。一つの書物は人々の行いを記録するものです。もう一つの書物は名前を記録するもので、命の書と呼ばれます。ヨハネの黙示録20章12節は、行いの書に書かれていたことによって誰かが救われたとは述べていません。ヨハネの黙示録20章15節は、結果を決定した唯一のことは、その人の名前が命の書に書かれていたかどうかであったと述べています。)

23. L5. 選択 ― 聖書がこれ以上ないほど明確に語っていること

ヨハネによる福音書 3:18シェア↗ 彼 を 信 じる 者 は、さばかれない。 信 じない 者 は、すでにさばかれている。 神 のひとり 子 の 名 を 信 じることをしないからである。
信じない者はすでに罪に定められている。
ヨハネによる福音書 3:36シェア↗ 御子 を 信 じる 者 は 永遠 の 命 をもつ。 御子 に 従 わない 者 は、 命 にあずかることがないばかりか、 神 の 怒 りがその 上 にとどまるのである」。
御子 を 信 じる 者 は 永遠 の 命 をもつ.
ローマ人への手紙 6:23シェア↗ 罪 の 支払 う 報酬 は 死 である。しかし 神 の 賜物 は、わたしたちの 主 キリスト・イエスにおける 永遠 のいのちである。
罪 の 支払 う 報酬 は 死 である --> しかし 神 の 賜物 は、わたしたちの 主 キリスト・イエスにおける 永遠 のいのちである.
(私自身の考察:ローマ人への手紙6章23節は、この学び全体の中心となる聖句である。ローマ人への手紙6章23節は、二つの部分からなる一つの短い文である。罪には支払われるべき報酬があり、その報酬は死である。その支払いは二つの方法のどちらかでなされる。人が自分でその支払いを永遠に行うか、あるいはイエスが既に支払われたものを贈り物として受け取るかである。それが選択のすべてである。選ばないこともまた第一の道を選ぶことと同じであるゆえ、誰もその選択を免れることはできない。「我々は人を造ろう」という創世記1章26節の言葉から、ヨハネの黙示録20章の御座に至るまで、この学びのすべてが、その一つの決断へと積み上げられてきたのである。まだその決断を下す時間は残されている。イエスは今も呼びかけておられる。)
1. 使徒行伝 4:12シェア↗ この 人 による 以外 に 救 はない。わたしたちを 救 いうる 名 は、これを 別 にしては、 天下 のだれにも 与 えられていないからである」。
この 人 による 以外 に 救 はない --> わたしたちを 救 いうる 名 は、これを 別 にしては、 天下 のだれにも 与 えられていないからである」.

閉会

ヨハネの黙示録 22:17シェア↗ 御霊 も 花嫁 も 共 に 言 った、「きたりませ」。また、 聞 く 者 も「きたりませ」と 言 いなさい。かわいている 者 はここに 来 るがよい。いのちの 水 がほしい 者 は、 価 なしにそれを 受 けるがよい。
御霊 も 花嫁 も 共 に 言 った、「きたりませ」 --> いのちの 水 がほしい 者 は、 価 なしにそれを 受 けるがよい.
ヨハネによる福音書 3:17シェア↗ 神 が 御子 を 世 につかわされたのは、 世 をさばくためではなく、 御子 によって、この 世 が 救 われるためである。
神 が 御子 を 世 につかわされたのは、 世 をさばくためではなく --> 御子 によって、この 世 が 救 われるためである.
(私個人の考え:聖書における最後の招きは、何の代価も要求しない。聖書における最後の招きは、誰にでも差し出されている。使われている言葉は「望む者」である。「望む者」という言葉は、意図的に誰も除外しない。これには、この study を読んでいる最悪の人物も含まれる。これには、何年も前からすでに「いいえ」と言い続けてきた人も含まれる。これらすべてであるイエスが、「来なさい」と言っておられる方である。人がしなければならないことは、ただ来て、いのちの水を受けることだけである。)

練習クイズ

1. ヘブル人への手紙9:22 — おきてによれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられ、
a) 肉の生命は血にあればなり
b) そして血を流すことなしには赦しはない
c) 血はすなわち魂のために贖罪をなすものなればなり
2. ローマ人への手紙5:8 — しかし、私たちがまだ罪人であったときに、そのことによって神は私たちに対する愛を明らかにされた、
a) 彼によりて怒より救はれん
b) われらは御子の死によりて神と和解せしめられたり
c) キリストが私たちのために死なれた
3. ヘブル人への手紙1:8 — しかし御子については、こう言われた、『神よ、あなたの御座は世々限りなく、』
a) 公義の杖は汝の国の杖なり
b) あなたの王国の杖は正しい杖である
c) その政は彼の肩にある
4. 詩篇110篇1節 — 主はわが主に言われた、あなたはわが右に座せよ:
a) われ汝の仇を汝の足台となすまでは
b) なんじの敵のなかにありて統べ治めよ
c) なんじの敵をなんじの足台とするまで
5. コリント人への第一の書15章20節 — しかし今、キリストは死人の中から復活し。
a) そして眠った者たちの初穂となった
b) そして三日目に、聖書に従って、よみがえられたこと
c) また汝の聖者に朽敗を見ることを許されず
6. ヨハネの黙示録1章7節 — 見よ、彼は雲とともに来られる:
a) そして雲が彼を彼らの目から隠して受け入れた
b) すべての目、彼を見る
c) そしてすべて信じる者たちの中で崇められるため
7. テサロニケ人への第二の手紙1章9節 — 主の御顔を離れて、永遠の滅びの刑罰を受ける者たち:
a) その力の栄光から
b) すなわち第二の死
c) その威光の栄光のために
正解: 1-b, 2-c, 3-a, 4-c, 5-a, 6-b, 7-a

このスタディの分岐

--> 言葉がいかに重要であるかを示す例:英語の一語「主」は、詩篇110篇1節において二つの異なるヘブライ語を表している。その二つのヘブライ語とは、ヤハウェ(H3068)とアドン(H113)である。マタイによる福音書22章45節でイエスが展開された議論全体は、この違いに基づいている。
これがあなたにどう当てはまるか:イエスは来られた方であるだけではありません。イエスは来られる方であるだけでもありません。イエスは今あなたのうちに生きたいと願っておられる方です(コロサイ人への手紙1:27、ガラテヤ人への手紙2:20)。
これが永遠にとって何を意味するか。罪の報酬は死である。神の賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちである(ローマ6:23)。人が罪の負債を払う道は、この二つしかない。
--> 余談:詩篇110篇4節とヘブル人への手紙第7章は、メルキゼデクの祭司職に関する教理全体への入り口となっている。この教理は、律法よりも古く、神が取り消すことのない誓いによって誓われた、一人の人において王と祭司が結び合わされていることを描いている。この教理は、それ自体で一つの完全な学びに値する。
--> 寄り道:テサロニケ人への第二の手紙1章7〜10節とヨハネの黙示録19章11〜16節は、イエスの再臨に関する教理全体へと開かれている。この教理には、イエスの再臨の確実性、イエスの再臨の突然性、そしてイエスの再臨を待ち望めという命令が含まれる。はっきりと述べよ:聖書はイエスの再臨の確実性を述べており、イエスの再臨の日程を告げることは拒んでいる(マタイによる福音書24章36節、使徒行伝1章7節)。この働きもまた、イエスの再臨の日程を告げることを同様に拒む。
公開の招き — あなたが誰であっても、読み続けてください
このスタディを読むために、クリスチャンである必要はありません。多くのことがあなたをここへ導いたかもしれません。探求心があなたをここへ導いたかもしれません。ある議論があなたをここへ導いたかもしれません。長年抱えてきた問いが、あなたをここへ導いたかもしれません。誰か他の人の信仰への興味が、あなたをここへ導いたかもしれません。このウェブサイトにあるすべては、あなたのものです。無料で、あなた自身の言語で。私たちはあなたの名前を尋ねることはありません。私たちはあなたの国を尋ねることはありません。私たちはあなたが何を信じているかを尋ねることはありません。一つのスタディでイエスを完全に描き切ることはできません。私たちはこの問いに持てるすべてを注ぎ込みましたが、このスタディでもなお、聖書を通る一本の道を歩んだだけです。イエスは初めの前から存在していました。イエスは今も存在しています。イエスは再び来られます。そのすべてを描き切るページは、たった一つでは足りません。さらに多くのスタディがここに用意されています。憐れみについてのスタディがここに用意されています。知恵についてのスタディがここに用意されています。知識についてのスタディがここに用意されています。忍耐についてのスタディがここに用意されています。敬虔についてのスタディがここに用意されています。さらに多くのスタディが準備中です。これらのスタディはどの順番で読んでいただいても構いません。進めながら、私たちの引用元を確認してください。これらのスタディに載っているすべての聖句は、意図的に全文が印刷されています。あなたは私たちの言葉をそのまま信じる必要は決してありません。すべての聖句を、あなた自身で吟味することができます。
もう一つの招きがこの後に続く。その招きが隠されているふりはしない。その招きとは、人が救われるために何をすべきかについての学びである。今すぐそれを読みたいなら、今すぐ読んでよい。他のものを先に読みたいなら、先に他のものを読んでよい。誰も数えてはいない。どちらにしても扉は開いたままである。パウロは、自分自身の神ではない神々の祭壇で満ちた町で、以下の言葉を語った。パウロは、その町に来てほしいと頼んだわけではない人々に、これらの言葉を語った。
使徒行伝 17:26シェア↗ また、ひとりの 人 から、あらゆる 民族 を 造 り 出 して、 地 の 全面 に 住 まわせ、それぞれに 時代 を 区分 し、 国土 の 境界 を 定 めて 下 さったのである。 (27) こうして、 人々 が 熱心 に 追 い 求 めて 捜 しさえすれば、 神 を 見 いだせるようにして 下 さった。 事実 、 神 はわれわれひとりびとりから 遠 く 離 れておいでになるのではない。
神は一つの血よりすべての国々の人を造り出だし給えり --> これ彼らをして主を尋ね求めしめ、見出させんためなり + 主は我らおのおのより遠く離れ給わず。

ギリシャ語キーワード

これはこのスタディのキーワードです。上の聖句の中の点線付きの単語をタップすると、意味がここに表示されます。
“和解した”G2644 katallasso敵意から友好へと変えること、また好意のうちに立ち返らせること
カタラッソーという言葉は、十字架の理由全体を一語で言い表している。
“和解”G2643 katallage恵みの回復。分かれた両者を再び結び合わせること
カタラゲー(katallage)は、上記のカタラッソー(katallasso)と同じ語根から来ている。カタラッソーは和解の行為──引き離されていた二者の間の友情の回復──を表す言葉である。カタラゲーは、その和解の結果を表す言葉である。
“赦免”G859 aphesis送り出すこと;釈放;解放;赦し
血を流すことなしには、罪が送り去られることはない。
“神秘”G3466 musterion秘密、かつて隠されていたが今は告げられたもの
聖書における奥義とは、決して解くべき謎ではない。聖書における奥義とは、神が明かすことを決めた秘密である。
“復讐”G1557 ekdikesis公義より出づるもの;不正の完全な正しき償い
ekdikesisはテサロニケ人への第二の手紙1章8節で用いられている言葉である。ekdikesisは制御されない怒りを意味するのではない。ekdikesisは完全に執行される正義を意味する。
“初子”G4416 prototokos長子;最初に生まれた者
父は御子について「神の使いたちはみな彼を拝すべし」と言われる。

ヘブライ語キーワード

“主”H3068 Yehovah神の契約の名であり、欽定訳聖書では大文字の「主」として記されている
旧約聖書において「主」が大文字で表記されている箇所では、その英語の「主」という言葉の背後にあるヘブライ語の名は、エホバである。
“主”H113 adown主;主人;所有者;支配する者
詩篇110篇1節における「アドーン」の形は「わが主」と訳されている。アドーンはヤハウェとは異なるヘブル語であり、ヤハウェはこの箇所でダビデの主に語りかけておられる。

よくできました — 続けましょう。

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何よりも先に、一つの問いが最も大切です。「イエスとは誰なのか?」

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SOURCES & CREDITS

Scripture: Kougo (Colloquial) (Public Domain (1955 口語訳聖書 — Japan Bible Society's own copyright page confirms the copyright protection period has ended; see registry/JAPANESE_LEGAL_PATH.md. Moral/integrity rights are preserved under Japanese law, so the text is rendered verbatim only, never altered -- pipeline.VERBATIM_LANGS.)) — a redistributable edition, looked up exactly and never machine-translated.
Alternate chapter/verse numbering reconciled with STEPBible TVTMS (CC BY 4.0).
Strong's numbering & original-language data: OpenScriptures Hebrew Bible (CC BY 4.0); STEPBible.org — TAHOT/TAGNT/TBESH/TBESG (CC BY 4.0); Robinson-Pierpont Byzantine Majority Text (Public Domain); Strong's dictionary, 1890 (Public Domain).
Typography: Google Noto fonts (SIL Open Font License 1.1).
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