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肉となった言 — ストロング番号付きKJV聖書study
約束され、そして肉となられた方 — 苦しむしもべ、インマヌエル、処女、ことば
聖書の基礎教理 — イエス・キリストの福音
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この研究は一つの問いを問う。イエスとは誰か。この部分は諸々の約束をたどっていく。十字架よりずっと前に記された、蔑まれ拒まれたしもべ。インマヌエル、すなわち「神われらと共にいます」という名の子を宿す処女。園で女に約束された種。そして、聞かれ、見られ、触れられた、肉となった言葉。約束が先にあった。それから、その人が来られた。この部分は、両方とも聖書自身の言葉で読んでいく。
本研究が答える三つの問い:
1. イザヤ書53章で預言者が語っている、悲しみの人とは誰のことか。
2. 主自ら約束されたしるしとは何であり、インマヌエルという名は何を意味しますか。
3. イエス自身は、人が自分を見出すためにどこを見るべきだと言われたか。
OPENING ANCHOR(冒頭のアンカー)
1. ミカ書 5:2 シェア↗ しかしベツレヘム・エフラタよ、 あなたはユダの 氏族 のうちで 小 さい 者 だが、 イスラエルを 治 める 者 があなたのうちから わたしのために 出 る。 その 出 るのは 昔 から、いにしえの 日 からである。
なんじより出でてイスラエルを治むる者あるべし --> その出づるところは、いにしえより、永遠の昔よりなり。
(私自身の考察:ミカ書5章2節の一文が、この研究全体の両端を握っている。この支配者は小さな町から出て来る。小さな町から出て来ることは、人が歩いて行ける場所での始まりである。この支配者の出て来ることは、いにしえより、とこしえより行われてきた。とこしえよりの出て来ることには、始まりというものが全くない。ミカはこの両方の真理を同じ一文の中で述べている。ミカはどちらの真理も和らげてはいない。)
1. 苦難のしもべ — 十字架がまだ存在しなかった時代に十字架を描いた章
1. イザヤ書 52:13 シェア↗ 見 よ、わがしもべは 栄 える。 彼 は 高 められ、あげられ、ひじょうに 高 くなる。 (14) 多 くの 人 が 彼 に 驚 いたように―― 彼 の 顔 だちは、そこなわれて 人 と 異 なり、 その 姿 は 人 の 子 と 異 なっていたからである―― (15) 彼 は 多 くの 国民 を 驚 かす。 王 たちは 彼 のゆえに 口 をつむぐ。 それは 彼 らがまだ 伝 えられなかったことを 見 、 まだ 聞 かなかったことを 悟 るからだ。
その顔だちは誰よりも損なわれていた-->このように彼は多くの国民に注ぎかけるであろう。
2. イザヤ書 53:1 シェア↗ だれがわれわれの 聞 いたことを 信 じ 得 たか。 主 の 腕 は、だれにあらわれたか。 (2) 彼 は 主 の 前 に 若木 のように、 かわいた 土 から 出 る 根 のように 育 った。 彼 にはわれわれの 見 るべき 姿 がなく、 威厳 もなく、 われわれの 慕 うべき 美 しさもない。
だれがわれわれの 聞 いたことを 信 じ 得 たか? --> われわれの 慕 うべき 美 しさもない.
3. イザヤ書 53:3 シェア↗ 彼 は 侮 られて 人 に 捨 てられ、 悲 しみの 人 で、 病 を 知 っていた。 また 顔 をおおって 忌 みきらわれる 者 のように、 彼 は 侮 られた。われわれも 彼 を 尊 ばなかった。
悲 しみの 人 で、 病 を 知 っていた --> 彼 は 侮 られた。われわれも 彼 を 尊 ばなかった.
4. イザヤ書 53:4 シェア↗ まことに 彼 はわれわれの 病 を 負 い、 われわれの 悲 しみをになった。 しかるに、われわれは 思 った、 彼 は 打 たれ、 神 にたたかれ、 苦 しめられたのだと。 (5) しかし 彼 はわれわれのとがのために 傷 つけられ、 われわれの 不義 のために 砕 かれたのだ。 彼 はみずから 懲 しめをうけて、 われわれに 平安 を 与 え、 その 打 たれた 傷 によって、 われわれはいやされたのだ。
彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために打たれた。彼の受けた傷によって、われわれはいやされたのである。
5. イザヤ書 53:6 シェア↗ われわれはみな 羊 のように 迷 って、 おのおの 自分 の 道 に 向 かって 行 った。 主 はわれわれすべての 者 の 不義 を、 彼 の 上 におかれた。
われわれはみな 羊 のように 迷 って --> 主 はわれわれすべての 者 の 不義 を、 彼 の 上 におかれた.
6. イザヤ書 53:7 シェア↗ 彼 はしえたげられ、 苦 しめられたけれども、 口 を 開 かなかった。 ほふり 場 にひかれて 行 く 小羊 のように、 また 毛 を 切 る 者 の 前 に 黙 っている 羊 のように、 口 を 開 かなかった。
ほふり 場 にひかれて 行 く 小羊 のように --> 口 を 開 かなかった.
7. イザヤ書 53:8 シェア↗ 彼 は 暴虐 なさばきによって 取 り 去 られた。 その 代 の 人 のうち、だれが 思 ったであろうか、 彼 はわが 民 のとがのために 打 たれて、 生 けるものの 地 から 断 たれたのだと。
彼は生ける者の地より断たれたり。わが民のとがのために彼は打たれたればなり。
8. イザヤ書 53:9 シェア↗ 彼 は 暴虐 を 行 わず、 その 口 には 偽 りがなかったけれども、 その 墓 は 悪 しき 者 と 共 に 設 けられ、 その 塚 は 悪 をなす 者 と 共 にあった。
彼 は 暴虐 を 行 わず + その 口 には 偽 りがなかったけれども --> その 墓 は 悪 しき 者 と 共 に 設 けられ.
9. イザヤ書 53:10 シェア↗ しかも 彼 を 砕 くことは 主 のみ 旨 であり、 主 は 彼 を 悩 まされた。 彼 が 自分 を、とがの 供 え 物 となすとき、 その 子孫 を 見 ることができ、 その 命 をながくすることができる。 かつ 主 のみ 旨 が 彼 の 手 によって 栄 える。
なんじその魂を罪のためのささげ物となす時、彼はその裔を見、そのよわいを長くせん。
10. イザヤ書 53:11 シェア↗ 彼 は 自分 の 魂 の 苦 しみにより 光 を 見 て 満足 する。 義 なるわがしもべはその 知識 によって、 多 くの 人 を 義 とし、また 彼 らの 不義 を 負 う。 (12) それゆえ、わたしは 彼 に 大 いなる 者 と 共 に 物 を 分 かち 取 らせる。 彼 は 強 い 者 と 共 に 獲物 を 分 かち 取 る。 これは 彼 が 死 にいたるまで、 自分 の 魂 をそそぎだし、 とがある 者 と 共 に 数 えられたからである。 しかも 彼 は 多 くの 人 の 罪 を 負 い、 とがある 者 のためにとりなしをした。
彼はその魂を死に至るまで注ぎ出し + 彼は罪びとのひとりに数えられた --> 彼は多くの人の罪を負い、罪びとのためにとりなしをした。
(私の個人的な思い:イザヤ書53章9節を読み、続けてイザヤ書53章10節を順に読んでほしい。イザヤ書53章9節は、僕が死んで富める者の墓に葬られたと言っている。イザヤ書53章10節は、僕の魂が罪のためのささげ物とされた後、僕はその末を見、その日を長くすると言っている。この二つの記述は、死んだままの人物については両方とも真実ではあり得ない。復活はこのイザヤ書の章に書き記されている。復活が実際に起こる七百年も前に、この章にすでに書き記されているのである。)
2. 異なる視点、同じ場面 — 預言者の書と、戦車の中でそれを声に出して読む人
使徒行伝 8:32 シェア↗ 彼 が 読 んでいた 聖書 の 箇所 は、これであった、 「 彼 は、ほふり 場 に 引 かれて 行 く 羊 のように、 また、 黙々 として、 毛 を 刈 る 者 の 前 に 立 つ 小羊 のように、 口 を 開 かない。 (33) 彼 は、いやしめられて、 そのさばきも 行 われなかった。 だれが、 彼 の 子孫 のことを 語 ることができようか、 彼 の 命 が 地上 から 取 り 去 られているからには」。 (34) 宦官 はピリポにむかって 言 った、「お 尋 ねしますが、ここで 預言者 はだれのことを 言 っているのですか。 自分 のことですか、それとも、だれかほかの 人 のことですか」。 (35) そこでピリポは 口 を 開 き、この 聖 句 から 説 き 起 して、イエスのことを 宣 べ 伝 えた。
預言者はこれを誰について語れるや。ピリポはこの聖句より始めて、イエスを彼に伝えたり。
(私の個人的な考え:これは、答えを一度も聞いたことのない人が声に出して尋ねた、正直な質問です。その質問とは、預言者は誰について語っているのか、というものです。答えはピリポの個人的な意見ではありません。ピリポはイザヤ書53章のまさにその箇所から始めました。ピリポはその箇所からイエスを宣べ伝えました。使徒たち自身によるイザヤ書53章の読み方が、私たちのために書き記されています。誰も使徒たちのイザヤ書53章の読み方について推測する必要はありません。)
3. E. インマヌエル──神われらと共に、生まれた子、与えられた子
1. イザヤ書 7:14 シェア↗ それゆえ、 主 はみずから一つのしるしをあなたがたに 与 えられる。 見 よ、おとめがみごもって 男 の 子 を 産 む。その 名 はインマヌエルととなえられる。 原語キー / Strong’s: ⚑ H5959 almah · ⚑ H6005 Immanuwel
それゆえ、 主 はみずから一つのしるしをあなたがたに 与 えられる --> 見 よ、おとめがみごもって 男 の 子 を 産 む。その 名 はインマヌエルととなえられる.
2. イザヤ書 9:6 シェア↗ ひとりのみどりごがわれわれのために 生 れた、 ひとりの 男 の 子 がわれわれに 与 えられた。 まつりごとはその 肩 にあり、 その 名 は、「 霊妙 なる 議 士 、 大能 の 神 、 とこしえの 父 、 平和 の 君 」ととなえられる。 (7) そのまつりごとと 平和 とは、 増 し 加 わって 限 りなく、 ダビデの 位 に 座 して、その 国 を 治 め、 今 より 後 、とこしえに 公平 と 正義 とをもって これを 立 て、これを 保 たれる。 万軍 の 主 の 熱心 がこれをなされるのである。 原語キー / Strong’s: ⚑ H6382 pele
ひとりのみどりごがわれらのために生れ、ひとりの男の子がわれらに与えられる --> その名は、力ある神、とこしえの父ととなえられる --> その政治と平和とは、増し加わって限りなく。
(私個人の考え:イザヤ書9章6節にある二つの動詞の順序に注目してほしい。この二つの動詞は同じ動詞ではない。この順序は偶然ではない。子が生まれた。世継ぎが与えられた。生まれるということは、その子がどのようにしてこの世に来たかを表している。与えられるということは、すでに存在していた御子に起こった出来事を表している。次に、この子に与えられた名前について考えてみよう。イザヤ書9章6節は、この子が全能の神のようであると言っているのではない。イザヤ書9章6節は「その名は、全能の神ととなえられる」と言っている。最初に挙げられている名前、「奇しき者」はペレ(H6382)である。ペレは、士師記13章でマノアが名前を尋ねても得られなかった答えと同じ語根を持つ。イザヤ書9章6節では、その名が与えられている。)
3. イザヤ書 9:2 シェア↗ 暗 やみの 中 に 歩 んでいた 民 は 大 いなる 光 を 見 た。 暗黒 の 地 に 住 んでいた 人々 の 上 に 光 が 照 った。
暗 やみの 中 に 歩 んでいた 民 は 大 いなる 光 を 見 た.
4. F. 女の子孫と処女 — 最初の約束とその成就
1. 創世記 3:15 シェア↗ わたしは 恨 みをおく、 おまえと 女 とのあいだに、 おまえのすえと 女 のすえとの 間 に。 彼 はおまえのかしらを 砕 き、 おまえは 彼 のかかとを 砕 くであろう」。
おまえの種と女の種との間に --> それは汝の頭を砕き、汝はそのかかとを砕くであろう。
(私の個人的な考え:神は、罪がこの世界に入り込んだ時、園の中で蛇に創世記3:15を語られた。創世記3:15は、聖書全体の中で最初に語られる救い主の約束である。この節が誰の子孫と名指ししているかに注目してほしい。聖書の残りの部分を通して、家系の系図は男性を通してたどられている。例えば、アブラハムの子孫やダビデの子孫である。ここでは、まさに初めのこの一度だけ、名指しされている子孫は「女の」子孫である。また、この節にある二つの傷にも注目してほしい。それらは同じ大きさではない。女の子孫のかかとは砕かれる。蛇の頭は打ち砕かれる。)
2. ガラテヤ人への手紙 4:4 シェア↗ しかし、 時 の 満 ちるに 及 んで、 神 は 御子 を 女 から 生 れさせ、 律法 の 下 に 生 れさせて、おつかわしになった。 (5) それは、 律法 の 下 にある 者 をあがない 出 すため、わたしたちに 子 たる 身分 を 授 けるためであった。
神はその御子を女から生まれさせて遣わされた-->律法の下にある者を贖い出すためである。
(私自身の考え:ガラテヤ4章4節は、神が御子を「遣わされた」と述べている。ガラテヤ4章4節はその後、御子が「女から生まれた」と述べている。「遣わす」がその文の中で最初に述べられている。「誕生」はその文の中で二番目に述べられている。この順序には意味がある。ある人がすでにその場所に存在していなければ、その人はその場所から遣わされることはない。)
5. 異なる視点、同じ光景 — 約束されたしるしと、与えられたしるし
イザヤ書 7:14 シェア↗ それゆえ、 主 はみずから一つのしるしをあなたがたに 与 えられる。 見 よ、おとめがみごもって 男 の 子 を 産 む。その 名 はインマヌエルととなえられる。
見 よ、おとめがみごもって 男 の 子 を 産 む。その 名 はインマヌエルととなえられる.
マタイによる福音書 1:18 シェア↗ イエス・キリストの 誕生 の 次第 はこうであった。 母 マリヤはヨセフと 婚約 していたが、まだ 一緒 にならない 前 に、 聖霊 によって 身重 になった。 (19) 夫 ヨセフは 正 しい 人 であったので、 彼女 のことが 公 けになることを 好 まず、ひそかに 離縁 しようと 決心 した。 (20) 彼 がこのことを 思 いめぐらしていたとき、 主 の 使 が 夢 に 現 れて 言 った、「ダビデの 子 ヨセフよ、 心配 しないでマリヤを 妻 として 迎 えるがよい。その 胎内 に 宿 っているものは 聖霊 によるのである。 (21) 彼女 は 男 の 子 を 産 むであろう。その 名 をイエスと 名 づけなさい。 彼 は、おのれの 民 をそのもろもろの 罪 から 救 う 者 となるからである」。 (22) すべてこれらのことが 起 ったのは、 主 が 預言者 によって 言 われたことの 成就 するためである。すなわち、 (23) 「 見 よ、おとめがみごもって 男 の 子 を 産 むであろう。 その 名 はインマヌエルと 呼 ばれるであろう」。 これは、「 神 われらと 共 にいます」という 意味 である。
なんじその名をイエスと名づくべし。この者おのが民をその罪より救い給わん --> 彼らはその名をインマヌエルと呼ぶであろう、これを訳せば「神われらと共にいます」という意味である。
(私自身の考察:両方の記事の違いは、その教えにある。イザヤ書7章14節では、「彼女が」その子の名をインマヌエルと呼ぶ、と言っている。マタイによる福音書1章23節では、「彼らが」その子の名をエマヌエルと呼ぶ、と言っている。イザヤの記事では、一人の母が自分の赤ん坊に名をつける。マタイの記事では、すべての人がイエスに名をつける。マタイはまた、読者が推測する必要のないことを行っている。マタイは立ち止まり、マタイによる福音書の本文そのものの中で、読者のためにその名を訳している。どの時代の読者も、エマヌエルという名が何を意味するかを見逃すことはできない。エマヌエルとは、神が私たちと共におられる、という意味である。マタイはまた、イエスの誕生が単にマタイにイザヤの預言を思い出させたとは言っていない。マタイは、これらすべてのことは、イザヤの預言が成就されるために「なされた」のだと言っている。)
1. ルカによる福音書 1:31 シェア↗ 見 よ、あなたはみごもって 男 の 子 を 産 むでしょう。その 子 をイエスと 名 づけなさい。 (32) 彼 は 大 いなる 者 となり、いと 高 き 者 の 子 と、となえられるでしょう。そして、 主 なる 神 は 彼 に 父 ダビデの 王座 をお 与 えになり、 (33) 彼 はとこしえにヤコブの 家 を 支配 し、その 支配 は 限 りなく 続 くでしょう」。 (34) そこでマリヤは 御使 に 言 った、「どうして、そんな 事 があり 得 ましょうか。わたしにはまだ 夫 がありませんのに」。 (35) 御使 が 答 えて 言 った、「 聖霊 があなたに 臨 み、いと 高 き 者 の 力 があなたをおおうでしょう。それゆえに、 生 れ 出 る 子 は 聖 なるものであり、 神 の 子 と、となえられるでしょう。
われ未だ夫を知らぬに、如何でこの事あるべき --> なんじより生まるる聖なる者は、神の子と称えられん。
(私個人の考え:ルカによる福音書1章34節にあるマリアの問いは、理にかなった問いである。人々は今なおマリアが尋ねたのと同じ問いを問い続けている。マリアに与えられた答えは論証ではない。マリアに与えられた答えは、神がまさに行おうとしていることの告知である。ルカによる福音書1章32節で名指されている王座に注目してほしい。「その父ダビデの王座」である。これはイザヤ書9章7節がその子が座ると言った、まさに同じ王座である。これは詩篇110篇が書かれた対象である、まさに同じ王家である。)
6. G. 言は肉となった──そして人はいかにして実際に彼を見出すか
1. ヨハネによる福音書 1:1 シェア↗ 初 めに 言 があった。 言 は 神 と 共 にあった。 言 は 神 であった。 (2) この 言 は 初 めに 神 と 共 にあった。 (3) すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 (4) この 言 に 命 があった。そしてこの 命 は 人 の 光 であった。 原語キー / Strong’s: ⚑ G3056 logos
初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった --> すべてのものは、この方によって造られた。
(私の個人的な考え:ヨハネ1:1は一行の中に三つの文を提示している。三つの文はすべて必要である。第一の文は「言は初めにあった」である。言、すなわち人としての体を取る前の神の御子を指す称号は、始まりの点を持たなかった。第二の文は「言は神と共にあった」である。言は単に父なる神の別名ではない。なぜなら、ある人格が自分自身と共にあることはできないからである。第三の文は「言は神であった」である。言は神の傍らに立つ劣った存在ではない。三つの文のうちどれか一つでも取り除けば、ヨハネが書いた文とは異なる文になってしまう。)
2. ヨハネによる福音書 1:14 シェア↗ そして 言 は 肉体 となり、わたしたちのうちに 宿 った。わたしたちはその 栄光 を 見 た。それは 父 のひとり 子 としての 栄光 であって、めぐみとまこととに 満 ちていた。 原語キー / Strong’s: ⚑ G4637 skenoo
言は肉体となりて我らの中に宿り給えり + 我らその栄光を見たり --> 父の独り子の栄光としての栄光なり。
7. 異なる視点、同じ場面 — 荒野の幕屋と、からだという幕屋
出エジプト記 25:8 シェア↗ また、 彼 らにわたしのために 聖所 を 造 らせなさい。わたしが 彼 らのうちに 住 むためである。
また、 彼 らにわたしのために 聖所 を 造 らせなさい --> わたしが 彼 らのうちに 住 むためである.
ヨハネによる福音書 1:14 シェア↗ そして 言 は 肉体 となり、わたしたちのうちに 宿 った。わたしたちはその 栄光 を 見 た。それは 父 のひとり 子 としての 栄光 であって、めぐみとまこととに 満 ちていた。
そして 言 は 肉体 となり + わたしたちのうちに 宿 った.
(私自身の考え:ヨハネによる福音書1章14節でヨハネが「住まわれた」に用いているギリシャ語はスケーノオー(G4637)です。スケーノオーとは、天幕を張り、その天幕に住むという意味です。古代、神はイスラエルの民に、神がイスラエルの民の間に住むことができるように天幕を建てるよう命じられました。イスラエルの民は、皮、木、金でその天幕を建てました(出エジプト記25章8節)。ヨハネによる福音書1章14節では、同じ絵姿が再び現れますが、その天幕とは人間の体のことです。荒野の天幕は、ヨハネが描く真理を先取りして示す絵姿でした。荒野の天幕は、イエス・キリストの体を指し示していました。新約聖書は、荒野の天幕が指し示していたものを新約聖書自身が明らかにした後になって初めて、それを影、すなわちイエス・キリストを指し示す絵姿として明らかにします。ヨハネはこの真理を、イエス・キリストの体について、ヨハネによる福音書1章14節で明確に述べています。)
1. コロサイ人への手紙 1:15 シェア↗ 御子 は、 見 えない 神 のかたちであって、すべての 造 られたものに 先 だって 生 れたかたである。 (16) 万物 は、 天 にあるものも 地 にあるものも、 見 えるものも 見 えないものも、 位 も 主権 も、 支配 も 権威 も、みな 御子 にあって 造 られたからである。これらいっさいのものは、 御子 によって 造 られ、 御子 のために 造 られたのである。 (17) 彼 は 万物 よりも 先 にあり、 万物 は 彼 にあって 成 り 立 っている。
すべての 造 られたものに 先 だって 生 れたかたである + 彼 は 万物 よりも 先 にあり --> 万物 は 彼 にあって 成 り 立 っている.
2. コロサイ人への手紙 2:9 シェア↗ キリストにこそ、 満 ちみちているいっさいの 神 の 徳 が、かたちをとって 宿 っており、 (10) そしてあなたがたは、キリストにあって、それに 満 たされているのである。 彼 はすべての 支配 と 権威 とのかしらであり、
彼のうちに神のすべての満ち満ちたものが形をとって宿っている-->あなたがたは彼にあって満ち足りている。
8. G5. どのように彼を見出すか — 主はどこを見るべきか教えられた
ヨハネによる福音書 5:39 シェア↗ あなたがたは、 聖書 の 中 に 永遠 の 命 があると 思 って 調 べているが、この 聖書 は、わたしについてあかしをするものである。 (40) しかも、あなたがたは、 命 を 得 るためにわたしのもとにこようともしない。
聖書を調べよ ―― それはわたしについてあかしするものである。
(私個人の思感想:イエスはヨハネによる福音書5章39-40節で、当時生きていた誰よりも聖書に精通していた人々に、このことを語られた。これらの人々は聖書を暗唱することができた。イエスはこれらの人々に、彼らが暗記していた聖書全体が、ご自身を指し示していると告げられた。イエスはこれらの人々に、それでもなお彼らはいのちを得るために御自身のもとに来ようとしないと告げられた。聖書の言葉を知っていることは、その言葉が指し示す人物を知っていることと同じではない。いのちを求めて他に探すべき場所はない。イエスは「あなたがたの感情を探れ」とは言われなかった。イエスは「聖書を探れ」と言われた。)
1. ルカによる福音書 24:25 シェア↗ そこでイエスが 言 われた、「ああ、 愚 かで 心 のにぶいため、 預言者 たちが 説 いたすべての 事 を 信 じられない 者 たちよ。 (26) キリストは 必 ず、これらの 苦難 を 受 けて、その 栄光 に 入 るはずではなかったのか」。 (27) こう 言 って、モーセやすべての 預言者 からはじめて、 聖書 全体 にわたり、ご 自身 についてしるしてある 事 どもを、 説 きあかされた。
モーセをはじめすべての預言者から始めて --> 聖書全体にわたって、自分について書かれていることを彼らに説明された。
2. ルカによる福音書 24:32 シェア↗ 彼 らは 互 に 言 った、「 道々 お 話 しになったとき、また 聖書 を 説 き 明 してくださったとき、お 互 の 心 が 内 に 燃 えたではないか」。
道にて我らと語り、我らに聖書を説き明かしたまへる時、我らの心は内に燃えしならずや。
3. ルカによる福音書 24:44 シェア↗ それから 彼 らに 対 して 言 われた、「わたしが 以前 あなたがたと 一緒 にいた 時分 に 話 して 聞 かせた 言葉 は、こうであった。すなわち、モーセの 律法 と 預言 書 と 詩篇 とに、わたしについて 書 いてあることは、 必 ずことごとく 成就 する」。 (45) そこでイエスは、 聖書 を 悟 らせるために 彼 らの 心 を 開 いて
すべてモーセの律法、預言者たち、および詩篇に、わたしについて録されたる事は、必ず成就すべし --> かくて彼らの心を開きて悟らしめ給えり。
(私の個人的な考え:ルカ24:44-45は、この研究全体が問いかけている質問への答えを与えている。この答えは、イエスが墓からよみがえった後、イエス自身の口から語られたものである。イエスは旧約聖書の三つの区分、すなわちモーセの律法、預言者、そして詩篇を挙げられた。この三つの区分を合わせたものが旧約聖書全体である。イエスは旧約聖書全体にご自身についての事柄が含まれていると言われた。イエスは旧約聖書の一部だけにご自身についての事柄が含まれているとは言われなかった。それからイエスは弟子たちのために二つの別々のことを行われた。イエスは弟子たちに聖書を開かれた。イエスは弟子たちの理解を開かれた。人はこの両方を必要とする。人は聖書全体を自分の手に持っていても、なおイエスにその目を開いていただき、聖書の中にイエスを見る必要がある。聖書を読みなさい。イエスに聖書を開いてくださるよう願いなさい。聖書を読み続けなさい。)
閉会
4. ヨハネの第一の手紙 1:1 シェア↗ 初 めからあったもの、わたしたちが 聞 いたもの、 目 で 見 たもの、よく 見 て 手 でさわったもの、すなわち、いのちの 言 について―― (2) このいのちが 現 れたので、この 永遠 のいのちをわたしたちは 見 て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに 告 げ 知 らせるのである。この 永遠 のいのちは、 父 と 共 にいましたが、 今 やわたしたちに 現 れたものである―― (3) すなわち、わたしたちが 見 たもの、 聞 いたものを、あなたがたにも 告 げ 知 らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの 交 わりにあずかるようになるためである。わたしたちの 交 わりとは、 父 ならびに 御子 イエス・キリストとの 交 わりのことである。
聞きし所 + 目にて見し所 + つらつら視し所 + 手にて觸りし所 --> 父と偕に在りて、われらに顯れたる永遠の生命
(私自身の考え:ヨハネはヨハネの第一の書1章1節で、意図的に感覚を並べています。聞いたもの、見たもの、じっと見つめたもの、そして手で触ったもの。ヨハネは感情や観念を描写しているのではありません。ヨハネは共に食事をした一人の人物について描写しているのです。同じ文の中で、ヨハネはその人物を「父と共にあった永遠のいのち」と呼んでいます。使徒たちが手で触った人物は、はじめの前から父と共におられた、その同じ人物なのです。それがヨハネの第一の書1章1-3節全体の主張です。ヨハネはこの主張についての理論家ではなく、証人であると述べているのです。)
練習クイズ
1. イザヤ書7章14節 — 見よ、処女が身ごもって子を産む。
a) その名をイエスと名づくべし
b) その名をインマヌエルと呼ぶべし
c) 彼らはその名をインマヌエルと呼ぶであろう
2. イザヤ書53章3節 — 彼は侮られて人に棄てられ、
a) されどその口を開かざりき
b) その打たれし傷によりて我らは癒されたり
c) 悲しみの人であり、苦しみに慣れた者
3. イザヤ書53:6 — 私たちはみな羊のように迷い出て、おのおの自分の道に向かって行った、
a) 主はわれらすべての者の不義を彼の上に置かれた
b) 彼は多くの人の罪を負い
c) しかし私たちは彼を、神に打たれ、苦しめられた者と思った
4. ミカ書5:2 — あなたのうちから、イスラエルのために治める者となるべき者が、私のために出て来る、
a) その國は終ることなかるべし
b) ダビデの位と、その国の上に
c) その出でし所は昔より、永遠の日より
5. ガラテヤ人への書4章4節 — しかし、時が満ちるに及んで。
a) 神は女より生れしその子を遣し
b) 聖霊なんぢに臨み
c) おのれの民をその罪より救ひ給ふべし
6. ヨハネ1:14 — 言は肉體となりて:
a) ことばは神と共にあり
b) そして私たちの間に住まわれた
c) 之によらで成りたる物は無し
7. ヨハネによる福音書5:39 — あなたがたは聖書を調べている、その中に永遠の命があると思っているからである、
a) そのいのちは人の光なりき
b) これ我につきて證するものなり
c) 我らに聖書を説き明したまへる時
正解: 1-b, 2-c, 3-a, 4-c, 5-a, 6-b, 7-b
このスタディの分岐
--> 余談:創世記3章15節の「女の子孫」は、約束された子孫という主題全体への入り口となっている。この主題は、アブラハム(創世記22章18節)を通り、ダビデ(詩篇132篇11節)を通って続き、ガラテヤ人への手紙3章16節ではっきりと名指しされている。
ギリシャ語キーワード
これはこのスタディのキーワードです。上の聖句の中の点線付きの単語をタップすると、意味がここに表示されます。
“言” —
G3056 logos —
ことば;言い伝えられること;語られたこと;思いの表現 ヨハネはヨハネの福音書を誕生の記事から始めていない。ヨハネはヨハネの福音書を、初めよりも前から始めている。
“宿った” —
G4637 skenoo —
テントを張ること、宿営すること、テントに住むこと 「言は肉体となりて我らの中に宿れり。」この節は、人が天幕に住むように、神が人間の体の中に住まわれたことを描いている。
ヘブライ語キーワード
“素晴らしい” —
H6382 pele —
驚き;不思議;理解を超えたもの ペレは、イザヤ書9章6節でその子に与えられた最初の名である。
“処女” —
H5959 almah —
未婚の若い女性、処女、乙女 アルマーはイザヤ書7章14節で用いられている言葉である。
“インマヌエル” —
H6005 Immanuwel —
神は我々とともにいる インマヌエルとは、それ自体で一つの文を成す名である。マタイはこの名を読者のために訳している。
誰もが問うべき最も大切な問い――「私は救われるために何をすべきか」。
答えを読む → SOURCES & CREDITS
Scripture: Kougo (Colloquial) (Public Domain (1955 口語訳聖書 — Japan Bible Society's own copyright page confirms the copyright protection period has ended; see registry/JAPANESE_LEGAL_PATH.md. Moral/integrity rights are preserved under Japanese law, so the text is rendered verbatim only, never altered -- pipeline.VERBATIM_LANGS.)) — a redistributable edition, looked up exactly and never machine-translated.
Alternate chapter/verse numbering reconciled with STEPBible TVTMS (CC BY 4.0).
Strong's numbering & original-language data: OpenScriptures Hebrew Bible (CC BY 4.0); STEPBible.org — TAHOT/TAGNT/TBESH/TBESG (CC BY 4.0); Robinson-Pierpont Byzantine Majority Text (Public Domain); Strong's dictionary, 1890 (Public Domain).
Typography: Google Noto fonts (SIL Open Font License 1.1).
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